近世から近代における儀礼と供応食の構造 -讃岐地域の庄屋文書の分析を通して-
ISBN:9784863870109、本体価格:7,000円
日本図書コード分類:C0020(一般/単行本/歴史地理/歴史総記)
440頁、寸法:160×218×30mm、重量741g
発刊:2011/02

近世から近代における儀礼と供応食の構造 -讃岐地域の庄屋文書の分析を通して-

【序章】
■第一節 本書の意図と研究の概要
 人が生まれてから死ぬまでその一生に関わる儀礼を通過儀礼と称する。誕生に始まり、成人、結婚、そして死に至るまで、人生の諸段階を区切る節目の儀礼であり、これにより神仏の加護を願うとともに、社会的な認知を得る意図も有した。また、これらの儀礼においては儀礼に伴う神人の共食および人と人の共食、すなわち、儀礼と供応食が不可避の関係として存在してきた。
 近世から近代の農村部においては、一連の通過儀礼は地縁社会、一類間の絆を強め、地域、同族間の秩序の維持をはかるなどの社会的な機能も有したと考えられる。すなわち、人々は儀礼を介在として、近隣の人々がともに協力してこれを営み、これにより村落共同体の互いの絆をより強める側面も有している。さらに、直会などにおける会食は、神と人さらには一つ釡の飯をともに食べる人と人の協同飲食の場であり、儀礼の有する機能を増幅させ体現化する場でもあった。諸家に伝存する諸記録の中には儀礼の参会者名簿、買物帳、役割分担表などがみられ、儀礼の社会的側面の一端をうかがうことができる。これら儀礼に提供される食事は、人々が地域の風土のなかで永い年月をかけて育み、積みあげてきた生活上の叡智の所産ともいえる。また、このような供応食の記録は特定の地域と時代における人々の食生活の実態を反映したものであり、生活文化の一翼を担う食文化の具体的諸相を知る貴重な史料といえる。例えば、故人の死後の冥福を祈り営まれる追善法要、仏事は、代々子孫により供養の年忌法要その他の仏事が営まれるため史料が比較的時系列で残されており、これら仏事関連史料の系統的収集と分析は地域の食構造の変遷の解明にも有効と考えられる。
 このように儀礼は慶弔いづれも人々の生活に不可欠なものとして存在し、地域の風土、時代の変容の中で継承されてきた過程がある。儀礼の供応食もまたそれぞれの儀礼に伴う固有の食として営々と継承されて現在に至っている。儀礼および儀礼の慣習は、地域固有の風土、時代の変容とその社会的背景などの重層的要因により形成されると考えられ、さらに、儀礼に伴う供応の食は儀礼を構成する諸相の一部であり、儀礼の食は儀礼の有する機能を具現化したものとの仮説が本書の基層にある。すなわち、本書においては儀礼と儀礼に伴う供応食を関係づけて検証することが第一の課題となる。それぞれの儀礼が本来有する目的または機能、および儀礼の実態解明の史的な検証を縦軸に置き、さらに、儀礼の枠組み、規制のなかで提供される供応食の具体的な解明を横軸とし、この両者を関連づけ両者の関係性の中から儀礼固有の供応食の食構造を明らかにしようとする。それぞれの儀礼の有する特性が供応食にどのように表出され、供応食を特徴づけるかが主要な課題になるといえる。
 「食」を基盤とする食文化という学際的な領域のなかで、今一つの重心を歴史的手法に特化して研究を進めることが本書の成立の発端にある。人間生活の根幹に位置づけられる食の営為は、その消費的特性から不明の部分が多い。比較的近い過去といえる近世から近代、就中、地域の農村部の食の実態についてはこれまでにも解明されることが少ない分野といえる。本書においては、記録として地域に伝存する儀礼の供応食を手がかりに、史料に立脚した史実と歴史的な視点から食の実態解明を目論み、前代の時代を反映した食を現代の食生活に.がる一連の事実として提供することを企図した。
 本書では、通過儀礼のうち讃岐の上層農民間で営まれた葬送儀礼、仏事儀礼、婚礼儀礼の三儀礼に限定し検証する。
 以下に、上記の課題を明らかにするための分析の手順と概要を述べる。
  (一)儀礼の実態と特性の解明
 主題とする近世から近代、讃岐の上層農民間で営まれた慶弔の儀礼、第一部・葬祭儀礼、第二部・婚礼儀礼のそれぞれの特性を、史料に沿って時系列かつ具体的に解明することが第一の課題となる。
 儀礼の解明のはじめに、儀礼形成の一端を担うと考えられる地域固有の風土および時代とその背景を検証する。すなわち、本書において主史料とした「讃岐国阿野郡北青海村」「大庄屋渡辺家」の検証が課題解明の前提となる。
 次いで、供応食成立の基軸となる儀礼個々の検証に入る。主史料とした渡辺家慶弔関係史料(ただし、婚礼儀礼は渡辺・漆原両家を主史料とする)から農村部の慶弔儀礼のあり様を具体的に明らかにし、それぞれの儀礼の実態および相互の共通点、相違点などにより儀礼の特性を明確にする。例えば、人の突然の「死」を起点として営まれる葬送儀礼・葬儀と、故人の追善供養のために一定の期間を経て定期的に行われる年忌法要などの仏事は、その成り立ちから基本的に異なり、これが両儀礼のそれぞれの特性に大きく影響を与えると考えられる。
 第一部・第一章 葬儀と儀礼では、渡辺家葬儀関係史料から儀礼を構成する諸要素の分析により、葬儀が村落共同体の葬儀互助組織の手に委ねられる実態を明らかにする。すなわち、葬儀儀礼は儀礼執行が喪家の手を離れ村人など他者よって営まれる儀礼であり、儀礼が個の家内部では自己完結し得ない特性を有することが明らかで、以下、これを「外的儀礼」と規定し検証の柱とする。さらに、葬儀布施、葬儀香典の分析からは上層農民間の葬儀の規模および増加傾向などを明らかにしその要因についても考察を加える。葬儀儀礼の構成要素の中核をなすと考えられる香典については、有賀などの述べる農村部における葬儀合力としての物品香典の減少、および特徴として金銭香典優位を明らかにする。さらに、このような金銭香典優位についてはその要因を贈答互酬の均衡(贈ったものと同等の返礼の慣習)、贈答における村落共同体内の均衡(喪家と親疎が同等の場合、同程度のものを贈る慣習)を挙げ、背景としての近世村社会における贈答互酬の慣習の存在を指摘する。また、香典の大部分を占める藩札については、往時の高松藩の藩札の流通と併せて考察する。
 第一部・第二章 仏事と儀礼では、儀礼の形態から葬儀と仏事の中間に位置する「朦中見舞い」と「年忌法要」その他に分けて検証していく。仏事の主体となる「年忌法要」および「祥月仏事」は人の死後時系列で継続的に執行されることが特徴である。また、仏事を構成する参詣人、布施、香典などの諸要素の分析からは、儀礼が内々と称する一類など同族間により営まれ個の家内部で自己完結し得る儀礼と特定できる。この特性から葬儀の外的儀礼に対しこれを「内的儀礼」と規定し検証を進める。なお、朦中見舞いは死後日を待たずして営まれる一七忌から七七忌の中陰期間における贈答であり、喪家への合力として料理物の贈答が慣習化されている。このような料理物贈答は、葬儀香典ではすでに有名無実となった物品香典の残存形態と位置づけることができる。
 なお、この章に関連して「特論1」「特論2」を設けた。
「特論1」「近世から近代・讃岐の葬祭儀礼にみる料理人」
 これまで地域、少なくとも讃岐地域に限定しても明らかにされることの少なかった料理担当者、料理人について検証する。史料は主史料を農村部・渡辺家および島嶼部・三宅家に依拠し、両家史料を比較しつつ分析を進める。すなわち、両家史料から風土と時代背景が儀礼の概要を規定し、儀礼のあり様が料理人の差違を生じ、さらに供応食そのものへ影響する過程を具体的に追跡し、本書の基層にある儀礼と供応食の関係の一端を明らかにする。また、料理人の実態から村社会の料理における知識、技術など食文化の伝播の形態についても推論した。
「特論2」「近世から近代における直島葬祭儀礼と豆腐切手のメカニズム」
 ここでは、風土の異なる島嶼部直島の豆腐切手の変容を手がかりとして、儀礼と供応食の関係を検証する。直島・三宅家の葬祭儀礼において、近世後期から近代初頭に短期集中的に出現する「豆腐切手」の発生と衰退のメカニズムを葬祭儀礼との関係のなかで分析、解明を試みる。すなわち、葬祭儀礼に伴う大量の豆腐需要に端を発した豆腐による物品香典は、その利便性から「預け」へと変化しさらに「豆腐切手」を成立させる。他方、農漁村部における急速な物品香典から金銭香典への移行は、商品札としての豆腐切手の利便性の機能を低下させる。直島独特の儀礼の慣習(供応食)が直島固有の豆腐切手の発生を促し、儀礼の変容が衰退に導く過程を検証し、風土と儀礼、儀礼と慣習について考察する。
 第二部・第一章 婚礼と儀礼では、渡辺・漆原両家史料を主史料とし、主には近世を漆原家史料、近代を渡辺家史料により儀礼を検証する。婚礼儀礼を構成する土産物、餅配、祝儀などの諸要素の分析から、婚礼儀礼が個の家で自己完結し得る内的儀礼として存在しつつ、婚礼両家相互、さらには村落共同体、地域などの認知、承認が関与する外的儀礼の側面を内包することを明らかにし、その特性から「認知儀礼」と規定し検証の柱とする。婚礼祝儀については、葬儀香典との比較、検証によりその共通点、相違点が祝儀、不祝儀の儀礼の特性に由来することを証する。また、婚礼仕度の質量両面におよぶ圧倒的な実態は儀礼の内的儀礼としての側面を示すものであり、ここには地域の上層支配層としての家格や権威の誇示が読み取れる。その他、儀礼を構成する諸相の端々にみられる時代による変容、例えば、土産物に顕著にみられる質量両面の拡大化および広域化の傾向などは婚礼儀礼そのものの変容を示唆しており、後項の儀礼の供応食を特徴づける要因となると推定される。
  (二)供応食の実態と儀礼固有の食
 史料において慶弔それぞれの儀礼に提供された供応食の実態を解明し、さらに供応食と儀礼の特性を関係づけた検証、儀礼固有の食の解明が第二の課題となる。
 第一部・第三章 葬儀と供応食では、葬儀儀礼に提供された供応食を外的儀礼の特性と関係づけて点検する。史料とした七家は讃岐全域(東・中・西讃)に分散しており、時代は天明四年(一七八四).明治三六年(一九〇三)の百余年間である。これにより近世後期から近代、讃岐地域における葬儀儀礼の供応食の実態の解明を企図する。七家・一八献立の葬儀供応食の分析から、供応食の献立構成は本膳に四つ椀(飯・汁・壺・平)および陶磁器(皿)の五つ組からなる一汁三菜が主流であり、葬儀供応食の定型と位置づけられる。加えて、村法からの検証も行う。文化四年(一八〇七)から安政六年(一八五九)、信濃国、丹後国、武蔵国などの一四事例でも葬儀供応食は三菜、一汁三菜などが比較的多数を占めるなど一定の認知を得ており定型と思慮できる。このような葬儀供応食を通底する一定の型の成立、すなわち個別性を排除し、画一化された一汁三菜の成立は葬儀儀礼の外的儀礼としての特性を反映したものと推定できる。儀礼を葬儀互助組織など地域共同体で共有する外的儀礼においては、地域全体の共通認識の上に得られた一定の型の必要があったと考えられる。この型はまた儀礼を共有する地域の人々にとって贈答互酬の均衡に叶う供応でもあった。
 第一部・第四章 仏事と供応食 年忌法要などの仏事儀礼は通常二日間宵越しで営まれ、ここで提供される供応食には前日午後の「非時」および翌日午前の「斎」がある。主史料とする渡辺家仏事の非時、斎の献立構成、料理、食品その他の実態を検証し、さらに供応食の階層(上分・下分)による献立の格差と格差の要因を明らかにする。また、同家で営まれる特別の仏事「三夜四日の仏事」については、通常の仏事との比較、点検により実態を明らかにし、三夜四日仏事施行の意義を検証する。渡辺家ではしばしば仏事供応の一部に会席料理による供応がなされる。膳椀などの器具および設えなど全てにわたり異質の本膳、会席の両様式を用いることの意義、および同時代、上層農民間で行われた会席料理についても検証を加える。上述のように仏事供応食は家の格式などに叶った様々の形態で営まれる。このような、儀礼における供応食の型の混在、個別性の顕在化こそが個の家で自己完結し得る内的儀礼としての特性の反映であり、供応が画一化される葬儀供応食とは本質的に異なる点と捉えられる。さらに、三夜四日仏事、会席料理による供応などからは、地域の最上層としての家格や権威の誇示が看取される。
 また、仏事は上記の年忌法要などとは別に、故人死亡の同月日の祥月命日に当たる祥月仏事がある。祥月仏事に関しては渡辺家「家政年中行司記」(万延元年(一八六〇).明治三五年(一九〇二))の四三年間の記録を主史料とし献立構成、料理、食品などの食事項の分析から実態を解明する。さらに、供応が「宵越し」から「一日法事」へと減少する特異な儀礼の変容については、明治中期の時代背景などから検証を試みる。
 第二部・第二章 婚礼と供応食 ここでは認知儀礼としての儀礼の供応食の点検が課題となる。なお、認知儀礼としての婚礼儀礼の供応食を特徴づける最大のものは、披露のための利便性などから生じたと推定される「客の階層区分と供応食の格差」が挙げられるが、これについては後章に譲る。
 はじめに、婚礼供応食に使用される近世から近代の食品の動向を精査し、日常、非日常の用語をキーワードとして変容の一端を解明する。すなわち、近世使用の食品類には概ね日常性が、近代には概ね非日常性を当てはめることができ、近代下分は日常性が相当している。このような食品の動向の変容は近代における婚礼献立、さらには儀礼そのものの非日常化への傾斜との一致がみられる。次いで主要食品である魚介類の近世から近代の動向に関しては、できる限り数量的処理を施し使用頻度などから使用傾向を明らかにする。これを踏まえ本章では食品の機能と関連づけた検証が課題となる。本書の基層である儀礼の供応食が儀礼の機能を具現化するとした仮説に立てば、供応食を構成する献立はもとより料理、さらには献立の最小単位としての食品にも機能が内在すると推定できる。この仮説に沿って食品の格付けの機能について近世料理書、本草書などから調査し、食品の優劣なかでも鯛を筆頭とするランク上位の魚介類の動向と献立の格付けを関連させて考察を進める。また、中世の鯉優位から近世の鯛優位移行への背景と要因について分析し、近世の鯛優位が献立を格付けるための便法として人々の共通認識醸成のために用いられたと推論する。企図の有無は明確にはし得ないが少なくとも「鯛使用献立=上位献立」の関係性は、地域の農村部にも普及、浸透し常態化している。
 食品としては魚介類に分類される水産練製品は、慶事献立なかでも讃岐の婚礼献立に頻出しており別途、節を設けて論考を加える。ここでは、史料調査に併せて、製品の不明な部分は聴き取り調査によって補った。前章における鯛などの魚介類の格付けと同様に「上位献立に角半弁、下位に丸半弁」など水産練製品の上下も献立の優劣に連動している。さらに、婚礼供応の特性である客に対応した献立の格付けと、水産練製品の商品化、規格化などによる格付けの機能について両者を関係づけて考察する。
 第二部・第三章 婚礼と供応食―客の階層区分と供応食の格差― 本章では認知儀礼供応の最大の特徴である階層区分と供応食の格差を検証する。婚礼儀礼は儀礼の特性として認知のために、客をいくつかの階層に区分しそれぞれに対応した供応を行うなど儀礼に則った独特の形態を構築する。はじめに、供応食を客の側から検証する。近世から近代における客の階層区分の細分化の実態を明らかにし、その要因を客の職種などから明治以降の近代化による農村部の指導者層の変容と関連づけて考察する。このような近代における階層区分の細分化は、格差の視覚化を促し、一目瞭然、明快な格差の数量化が進行する。
 近世、近代の供応の料理様式の基盤となった本膳料理は、汁と菜の数などにより献立を格付ける機能を有するが、近代における階層区分の細分化は献立の最小単位としての食品の機能をも増幅させるといえる。位階制の確立した近世封建社会においては、武家社会を中心に階層区分により供応に格差を設けることは常套的に行われた。地域の農村部、さらには、明治以降の近代において時代に逆行するかの格差の顕在化とその要因について、変容の背景を明治維新に.がる村社会の急速な改編など一連の変革期の社会情勢と関係づけて解明を試みる。結果として、儀礼の形成が時代の変革と無縁ではなく、また、儀礼の変容は儀礼を構成する諸相に内在することが明らかである。
■第二節 先行研究の概観
 本研究が課題とする慶弔、葬祭および婚礼の儀礼と供応食を関係づけた史的研究は、管見の限りにおいてはごくわずかで、概ね食または儀礼のそれぞれいずれかに比重を置いたものであり、これまで各々別方向の研究として進められてきた経緯がある。取り分け食分野では儀礼の食の史的研究そのものの先行研究の蓄積が極めて少なく未開拓の分野といえる。供応食についての報告が散見される婚礼儀礼においても、主として儀礼に提供される料理、献立などの報告が多いのが現状といえる。そこで、先行研究としては、「儀礼」と「儀礼の供応食」に分けて検討することとする。なお、儀礼については、葬祭、婚礼ともに論攷、研究書は民俗学、宗教学、歴史学、社会学などの各分野において枚挙にいとまがなく、筆者の管見のおよぶわずかな範囲に留まることを断り、いくつかを先行研究として取り上げる。
 第一部、葬祭儀礼と供応食では、はじめに、本書の内容と深く関わる儀礼の贈答の分野に視点をあてる。まず、この分野では、有賀喜左衛門「不幸音信帳からみた村の生活―信州上伊那郡朝日村を中心として―」を挙げる。有賀は民俗学研究の泰斗であり様々な分野への研究業績は周知の通りである。ここで取り上げる論攷は、昭和二三年(一九四八)に発表されたものであるが、現在も、筆者は勿論のこと研究者の引用がしばしばみられる。本論攷を先行研究とする理由は、慶弔などの家文書による先駆的研究であり、主な内容が葬儀香典の贈答に関わるためである。冒頭に「不幸音(イン)信(シン)帳というような顧みられることの少ない記録を取り出して、それに反映した村の生活を描いてみたい。」と述べており、現在ようやく常套化しつつある慶弔文書などによる近世常民文化の掘り起こしが、往時、未だ研究手法として未開拓であったことを物語っている。はじめに、贈答全般については定期の贈答(年中行事など)、不定期の贈答(通過儀礼など)に分け、前者の贈答には行事に伴う信仰が特別の価値を付与するため贈答の物品に比較的変化が少なく、後者のそれは変遷が大きいと各々の特性に言及する。葬儀香典については史料を信州上伊那郡朝日村の元治元年.明治三二年・六事例(実際には七事例あり)に拠り、且つ音信者を村内と他村に分け、香典を自家生産品と商品に分けて考察している。また、香典品目に食料品の多いことを、香典の有する社会的意味から突然の不幸である葬儀に寄せる人々の合力と位置づけて論攷の基層に置いている。全体として農村部においては金銭を香典として贈与する数は増加傾向を、村内音信者に自家製品による香典の多いことなどを指摘しており、その延長線上に筆者らの研究もあるといえる。前掲、有賀の葬儀贈答に対し、仏事法要の贈答を検証した論攷に森田登代子『近世商家の儀礼と贈答―京都岡田家の不祝儀・祝儀文書の検討―』がある。副題のように、京都の商家の儀礼と贈答について豊富な資史料をもとに緻密かつ実証的に分析したものである。なかでも「第一部 岡田家不祝儀文書」「第二章 追善法要」においては往時の都市部における追善法要の参詣者数、出膳数などの具体相を明らかにする。さらに贈答について「年忌配り物」「忌中見舞到来物」など表を多用して検証し、これらの追善法要のあり様から法要が遊楽性を兼ね、親類間の交友文化として機能していたと結論づける。ただし、本書では遊楽性、交友文化の機能に深く関与すると考えられる供応食に関しての記述、分析はわずかである。すなわち、著者が「法要には親類がともに食事をする、いわゆる共食がつきものである。岡田家では法要時の献立を全部記載しており、当時の食生活を知る上で非常に貴重な史料となり得ることは明瞭であったが、本書では必要な箇所のみにとどめた。」としているように、供応食に関しては献立事例がいくつか提示されるのみである。本題の贈答とは直接関係はないといえるが、遊楽性などを論じる場合、その中心たるべき供応食の分析を加味することで、その機能がさらに明確になり得ると考えられ今後の研究が期待される。森田の一軒の家を総体として検証する手法は、広域的な地域、時代などの検証の前提としても有用な手法といえる。なお、本書における都市部の葬祭儀礼との比較から、筆者の課題とする農村部の儀礼の特性がうきぼりとなった。地域の食文化の特性を鮮明にする意味でも同種の研究の盛行が期待される。同じく、川勝美佐子「八木家文書における丹波の村落生活―主に幕末から明治末期にかけてー附録 京都府亀岡市千代川町川関八木家文書」がある。元禄
一三年(一七〇〇).明治四二年(一九〇九)約二百余年の多量の史料が詳細で綿密に図表化されており資料的価値は高いと考えられる。また、成松佐恵子『庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし』も同様の手法で、日記を手がかりに往時の農村部の生活を活写している。
 次に、仏事儀礼と供応食の分野では、佐々木の論攷「本願寺教団の年中行事」が挙げられる。佐々木は本願寺年中行事と供応食を関係づけ供応食の機能を明らかにする。筆者の課題とする仏事儀礼と供応食の基層は佐々木論文に依拠するところが大きく、これの時代の推移、地域への拡大と変容の具体相の解明を主題としている。佐々木は、本願寺年中行事中に認められる仏事の食事、共同飲食として重要な意味を持つ斎(晨朝後の食事)・非時(日中後の食事)について検証する。本願寺の斎、非時は宗主臨席の共同飲食であり、歴代宗主は共同飲食の場を勤行と同様に重視し、勤行と食事を組み合わせた儀礼形態として確立する。報恩講その他毎月の法然命日の斎「五菜二汁」、親鸞命日の「六菜二汁」などの規定、およびその後の斎が献立、品数ともに次第に華美になることなどを具体的に例証している。ただし、中世では行事の中核的位置を占めた斎、非時は、年中行事が定型化する江戸時代以降、次第に形式化し勤行の附帯儀礼と化して本来の意義を失う。佐々木は本願寺の年中行事は、わが国の民俗的な伝統宗教に存在する意義、すなわち神人の共食による宗教的な感動の体験、および平素の共同関係を一層緊密にする宗教儀礼としての共同飲食を吸収したものであると位置づけ、年中行事として年々これを繰り返すことにより、教団の信仰が永続していくことにその意義が存すると述べている。時代の盛衰はあるものの儀礼およびこれに伴う斎、非時は本願寺を基軸とするものであり、農村部の末寺の慣習との間に差違はあるが、本論攷で述べられる儀礼と食(斎、非時)の関係性、その意義などの本質は不変であり、近世農村部における葬儀、仏事のなかで確実に実践され伝持されるといえる。
 大藤の『近世農民と家・村・国家―生活史・社会史の視座から―』は生活史、社会史の視点から近世農民層を「家」を中心に総合的にみたものである。先行研究として注目する部分は「第二部 近世農民と家・村・地域 第二章 近世農序章民層の葬祭・先祖祭祀と家・親族・村落」で、近世農民層の葬祭儀礼のあり方と家、同族、親族、村落住民の関与と役割などを取り上げている。「第二節 葬式・法事の家例―安芸国高田郡多治比村丸屋吉川家の例―」では史料を引用し、近世上層農民の葬儀、仏事の具体相を明らかにしている。箇条書きの関心を惹く点は、冠婚葬祭が自家の権勢を地域社会に誇示する機会としての機能を有すると述べ、儀礼が家の存続との配慮のなかで行われると指摘する。また、「第三節 葬式・服忌の地域慣行」は、『全国民事慣例類集』(明治一三年・一八八〇)を資料として全国規模の葬儀習俗を細部にわたり比較分析している。例えば、親族、地域住民の葬式への関与の仕方と役割の項では、葬儀の担当が互助を目的とした講、組合が圧倒的に多いことを指摘し、さらに貧困者に対する葬事扶助の事例から、「形態は様々でも恙なく葬送を営むことを保証するシステムが創出されていた」とする視点は、多量の事例の分析によりはじめて明らかにされる結果といえよう。また、葬式、法事に対する幕藩権力、共同体の規制の項では、幕府触書および村法、町法を多数比較引用し論述する。ここでは村法、町法などは、冠婚葬祭が親類や地域住民の交際の場であり、儀礼が個の家内部で自己完結し得ないため、地域共同体の申し合わせとして成文化されたと指摘しており、葬祭、就中葬儀の機能を明らかにするもので注目される。
 第一部の最後に圭室諦成「葬式と仏事」を挙げたい。本論攷には食は元より儀礼の詳細に関する事項はないが、本書が主題とする仏事儀礼および農村部において強固な.がりを有する寺檀関係の成立の要因、過程が明らかにされたもので、葬祭儀礼の根幹に関わる一遍と位置づけられる。これによれば中世前期まで素朴であった葬祭儀礼は、中世後期、特に戦国期における諸宗の郷村への進出から変化が顕著となり、それまで貴族、武士など上層を中心とした仏教葬祭を大部分の庶民も行うようになる。さらに郷村内の寺院分布の密度の高まりは僧侶の側からは生活安定化のために仏事儀礼を整え、他方、庶民の側からも葬祭という呪術的宗教儀礼により死霊からの解放と故人への報恩追慕の念を深めようとする。この時期、故人の善根追福のために遺族が修する追善は、それまでの一周忌限りからさらに年忌を加えた十三仏事(初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、百箇日、一周忌、三年忌、七年忌、十三年忌、三十三年忌)など仏事の形が整えられる。また、生前の追福としての逆修の仏事なども激増する。このような葬儀、追善、逆修を媒介として、寺院および僧侶と郷村の庶民間の強固な寺檀関係が成立する。なお、讃岐地域の近世後期から近代初頭においては、逆修の仏事は皆無(少なくとも史料上では)となるが農村部なかでも上層農民士間では葬儀儀礼の拡大化、仏事儀礼の増加傾向など寺檀関係はさらに深まる実態が明らかで、儀礼およびその背景にある人々の願いも含めて圭室論攷に連なるものであるといえる。
 第二部、婚礼儀礼と供応食の分野では葬祭儀礼に比較して、儀礼の供応食の研究の蓄積がある。ただし、概ねこれらは大名、上層などの婚礼供膳の報告などであり、また、上下層ともに葬祭儀礼同様に儀礼に提供される料理、献立などの報告が主体である。このなかで、婚礼儀礼と供応食(地域の農村部)の分野には、増田真祐美・江原絢子らの論攷「婚礼献立にみる山間地域の食事形態の変遷―江戸期から大正期の家文書の分析を通して」が挙げられる。史料は筆者らが十数年調査を継続する古橋家(三河国・愛知県)を中心に地域が近接する千秋家(美濃国・岐阜県)、大前家(飛騨国・岐阜県)の三地域の婚礼供応食をについて、享保一四年(一七二九).大正六年(一九一七)までの約一九〇年間を対象とし、時代の変容、地域差の解明を課題とする。結果として、本膳料理を中心とした供応形態は、農村部においては一八世紀半ばに定着し、明治期まで継承されることを明らかにし、明治後期には膳部と酒宴の部が逆転した酒宴中心の料理形式に移行することを実証する。さらに、この要因としては婚礼料理の担い手が料理屋へ移行することによる会席料理様式の導入をあげる。多量の史料による緻密な献立分析がなされているが、結論の要因となる料理屋委託については三家では千秋家の二例に留まるなどが問題点として指摘される。ただし、史料については、国文学研究史料館、各県の図書館、文書館などの蔵書目録調査および現地調査により検討し、主史料の古橋家と同格の名主クラスであり、史料年代も近似した家(史料)の選定を企図するなど、広域的な調査手法に特色がみられる。
 儀礼を贈答の側面からの解明を試みたものに葬祭儀礼でも挙げた、森田登代子『近世商家の儀礼と贈答―京都岡田家の不祝儀・祝儀文書の検討―』がある。本書では「第一部 岡田家不祝儀文書」に続く、「第二部 岡田家祝儀文書」第一、二章において婚礼儀礼の贈答を中心に分析している。岡田家奉公人(番頭)の婚礼祝儀(寛政六年)の分析からは、贈与者は本家別家衆、同業者、近親者など三五人、品物は計八一品で実用品というより儀礼的な品物が贈られるなど、都市部の商家における婚礼贈答の一端がうかがえる。また、比較的珍しい事例として婿養子婚について検証している。ここでは、婿入りに際し持参する衣装の破格の枚数(一〇三枚)から、婿入り(嫁入り)仕度としての衣装が財産分与の機能を有し、さらにこれらの衣装の分析から、一生分の着用衣装の構成や着回しを考慮し、被服管理を前提に周到に準備されたことを看取しており、独特の手法と視点で婚礼儀礼の実態の一端が解明されている。
 最後に本書が主題の一つとする階層による供応の格差の分野に関する論攷として、濱田明美・林淳一、「江戸幕府の接待にみられる江戸中期から後期の饗応の形態」、「江戸幕府の接待にみられる江戸中期から後期の饗応の形態(第2報)」の二編を挙げる。本論攷は幕府供応の形態の解明を目途とし、史料として朝鮮通信使来聘(天和二年(一六八二).文化八年(一八一一)の五回)、勅使参向(宝永七年(一七一〇).文政八年(一八二五)の四回)の供応の記録を選定し検証したものである。はじめに膳組の形態を分析し、次いで膳組の格式と客の身分を関係づける。さらに客の身分に対応する膳組の格式を区別する要素を明らかにする。結果は格式を区別する要素として、膳と菜の数、それに続く膳と菜の数、材料の差、菓子の種類と出し方、膳と器の種類、膳と器の組み方の六つの要素があることを明らかにする。階層と供応を関係づけた先駆的論攷の一編であり、史料選定、分析なども評価できるが、以下の点を指摘したい。その一つは献立についての表記で、要素の二番「続いて出される汁および菜の数」の部分は、酒の肴(吸物を含む)の膳であり「吸物および肴の数」と区別すべきと考える。また「酢味噌、いり酒」を一菜とすることはその理由とともに疑問が残る。
 第二報は、史料を日光法会(正徳五年(一七一五).元治二年(一八六五))五回および一例(厳有院一〇〇年忌)による。二〇一例という多数の膳組を四汁一六菜(膳三つ).一菜の一五段階に区別し、膳組の格式は前報同様、客の身分・役職と供応の目的により対応するとしている。膳組の格式を区別する要素については、前報の要素を確認するとともに、新たに第七の要素として飯米の精白度をあげている。

【あとがき】
 食文化と云う言葉がようやく認知されはじめた一九七〇年代、従来の食物研究に対する自然科学的手法に馴染めなかった私は、日本家政学会での松下幸子先生(元千葉大学教授)の近世料理書についてのご発表に心惹かれこの道を志した。しかし、道を定めたものの肝心の史料の在り処も方法論も解からないままの出発は覚束無いものであった。その頃、高松市郷土資料館で開講されていた古文書解読講座を受講し、解読を学ぶことが私が思いついた第一歩であった。以来、郷土資料館での故宮田忠彦氏(同館勤務)との出会い、さらに、氏を通じての瀬戸内海歴史民俗資料館・徳山久夫先生との出会いがその後の庄屋文書などの史料収集の糸口となった。当時、本県は置県百年事業の一環である『香川県史』編纂(一九八〇年度.一九八八年度)が始まり、近世史料収集が活発に成されていた時期でもあった。香川県史編さん委員会会長の故横井金男先生(香川県明善短期大学教授)は勤務校の上司であり、県史の近世「農民生活の諸相」の執筆の機会をいただいた。県史近世史部会は部会長の木原溥幸先生を筆頭に毎月の勉強会があり、ここで諸先生からの指導を受けたことが、家政学出身の私が歴史学に触れる事始めとなった。以来、『町史ことひら』『高瀬町史』などへの執筆、「香川歴史学会」入会。また、二〇〇三年、六〇才の退職を機に四国学院大学での岡俊二先生の近世史聴講など、牛の歩みながら歴史に関わってきた。
 この間、一方では讃岐の庄屋文書などを史料とし、主に慶弔など儀礼の食構造の調査研究を続けてきた。方法は収集した各家の史料から食事項を抽出・分類し、基礎資料とするといった家政学的手法が多くを占めており、資料の域を出ない報告であったが、勤務校の『香川県明善短期大学研究紀要』への毎年の投稿を自分に課し、「古記録にみる讃岐の食の史的研究」として職を辞するまでに第一八報まで続けることができた。また、『家政学会誌』『生活文化史』『香川県立文書館紀要』『日本食生活文化調査研究報告集』『食生活に関する研究助成研究紀要』などへの投稿も行ってきた。この度、本書を著すに当たってこれらの原稿や資料が大きな助けとなったことは、思いがけない喜びであった。
 今、漸く本書の筆を置くことができ、深い安堵感に包まれるとともに、これでいいのかとの反省もしきりである。これまで食文化という学際的な分野において、あくまでも「食」を基層に置きつつ歴史的な手法を取り入れることの難しさ、史料の扱い方、文書解読などの基礎的な知識とともに、史料に関わる歴史的素養の不足などを日々痛感してきた。ただ、調査、研究を通じて多くの先学の方々に恵まれたこと、さらに、讃岐に現存する家々の史料の存在が研究の支えとなった。食文化の研究は未だ歴史が浅く研究方法なども未熟な分野といえるが、今後も、本書に残された課題を整理し新たな一歩をと期している。

 本書がまとまるなかで、さらにはこの研究を続けるなかで数え上げられないほど多くの方々にご指導、ご鞭撻をいただいた。
 二十五年余にわたり、文献史料を中心とした食文化研究を継続するなかで、今一度、初心に返り学ぶことを思い立ったのは、定年を迎えた二〇〇三年の春、六〇才を過ぎてのことであった。故石川松太郎先生を介してご紹介いただいた山中浩之先生(当時大阪女子大学教授・現大阪府立大学教授)の研究室に通うこととなったが、そのことが、当時から多忙を極めておられた先生にとってどれほどのご負担であったか、今、振り返っても不明を恥じ入るばかりである。ただ、先生は毎回持参する未熟な原稿に対して、論文の構成をはじめ細部の文言に至るまでいつも丁寧にご指導下さった。先生は温厚なお人柄であったが、研究に対しては譲ることがなく温かななかにも厳しいご指摘をいただいた。取り分け、儀礼の食の研究には儀礼そのものの徹底的な検証の必要があることを常に諭して下さった。本書が曲りなりにも形になったのは偏に先生のご指導の賜であり感謝の思いで一杯である。
 翻って、史料を中心にした食文化の研究を目論み、郷里、高松で細々と研究を続けるなかでも多くの方々にお世話になった。なかでも故徳山久夫先生(瀬戸内海歴史民俗資料館主任専門職員・引田町歴史民俗資料館館長(現東かがわ市歴史民俗資料館))には最も重要な文献史料の収集に関してご指導をいただいた。はじめて瀬戸内海歴史民俗資料館に先生をお訪ねした一九八二年から昨年一月先生がご逝去されるまで、本当に長きにわたりお世話になった。先生無くしてはこの研究を続けて来られなかったと今も実感している。本書をお見せできなかった悔いは残るが、御霊前に捧げ心からご冥福をお祈り申し上げたい。
 木原溥幸先生(元香川大学教授・元徳島文理大学教授)からは『香川県史』以来、歴史に不案内の私に、折に触れて近世史についてご教示いただいた。岡俊二先生(四国学院大学教授)は、はじめに文書解読の手ほどきをして下さった恩師であり、後には聴講生としてもご指導をいただくなど長きにわたりご厚誼にあずかった。両先生に記して厚くお礼を申し上げます。 

〔日本家政学会食文化研究部会〕
 郷里の短期大学の家政学科に勤めながら、ひとり手探りで食文化の調査研究を続けていた一九八〇年代後半、お誘いをいただき「日本家政学会食文化研究部会」に入会させていただいた。同会は故石川松太郎先生(日本教育史学会会長・日本女子大学教授)、石川寛子先生(元武蔵野女子大学教授・元日本家政学会食文化研究部会会長)を車の両輪に、従来の自然科学中心の家政学の食物研究に、人文科学、社会科学の手法を取り入れた「食文化」という新しい一分野を確立しようとする会であった。この会で、大勢の先学の方々のご指導をいただけたことは、私にとって何にも増しての幸運であり喜びであった。同会の毎年の研究大会、研修旅行などを通じ、多くを学び、研究上の刺激を受けたことが今日まで続けてこられた原動力となっている。特に、石川松太郎先生には山中先生をご紹介いただくなど折に触れて貴重な指針を示していただいた。石川寛子先生には『近現代の食文化』その他の本の執筆に参加させていただき、ご指導をいただけたことは得難い経験となった。本書の構成その他については江原絢子先生(現同会会長・元東京家政学院大学教授)に貴重なご助言をいただき論を進めることができた。また、同会中国・四国支部長今田節子先生(岡山大学特任教授・元ノートルダム清心女子大学教授)からは月例会で研鑽をともにするなかで研究を支えていただいた。記して厚くお礼を申し上げたい。
 私事ではあるが、同会の記念すべき第一回研究大会(一九八八年)では「献立構造の階級づけ―近世から近代にかけて―」を発表させていただき、また『会誌 食文化研究』の創刊号(二〇〇五年)において「近世から近代の讃岐地域における葬送儀礼と供応食―庄屋文書の分析を通じて―」の投稿の場をいただけたことは、同会会員として食文化研究を長く続けてきたことへの感慨も含めて、私にとってのささやかな誇りとなっている。

 本書は、讃岐における近世から近代の食構造を、往時の庄屋など旧家の史料を手がかりとして解明するものであって、史料なしには成立し得ない研究といえる。本書で主史料として使わせていただいた渡辺家、漆原家をはじめ阿河家・阿比野家・稲毛家・大喜多家・大喜多家(辻村)・大山家・鴨居家・木村家・日下家・小西家・佐野家・高田家・冨井家・藤村家・丸岡家・三宅家・向井家・森家・山口家・山地家・山下家・渡瀬家の家々および皆様に対して、衷心より厚くお礼を申し上げます。
 また、破損、散逸などが危ぶまれる貴重な古文書類の閲覧その他を快く許可して下さいました以下の関係機関、およびお世話になった各館の皆様に厚くお礼を申し上げます。
 香川県立ミュージアム(分館)瀬戸内海歴史民俗資料館・香川県立文書館・東かがわ市歴史民俗資料館・さぬき市歴史民俗資料館・香川県観音寺市立豊浜図書館・高松市歴史民俗資料館・丸亀市立資料館・香川県立図書館。 渡辺家檀那寺の常福寺では、聴き取り調査および渡辺家寄贈の品々を拝見させていただきました。記してお礼を申し上げます。
 以下の高松市内の蒲鉾店に聴き取り調査をさせていただきました。記してお礼を申し上げます。滝川蒲鉾店(一九八四年)・植松蒲鉾店(一九八四年)・岡村かまぼこ(一九八五年)・熊野かまぼこ(二〇〇九年)。
 また、ご多忙のなか史料解読のご指導をいただきました香川県立文書館の岡田啓子氏にお礼を申し上げます。
   二〇一一年一月  秋山 照子

【目次】
序章
 第一節 本書の意図と研究の概要
 第二節 先行研究の概観
第一部 葬祭儀礼と供応食
 第一章 葬儀と儀礼
  ・はじめに
  第一節 渡辺家および不祝儀関係史料
   一.阿野郡北青海村
   二.大庄屋渡辺家
   三.渡辺家不祝儀関係史料
  第二節 葬儀と役割
   一.告知儀礼
   二.葬儀と免場
   三.野辺送り
  第三節 葬儀と布施
  第四節 葬儀と香典
   一.金銭香典
   二.金銭香典・藩札
   三.物品香典
  第五節 遺物配当と謝儀
   一.史料別・遺物配当と謝儀
   二.遺物配当と謝儀における衣類譲渡
   三.どうやぶりの供応
  ・おわりに
 〔特論1〕「近世から近代・讃岐の葬祭儀礼にみる料理人」
  ・はじめに
  第一節 渡辺家の場合・農村部を事例として
   一.葬儀と台所向役割
   二.仏事と台所向役割
   三.料理人・折蔵
  第二節 三宅家の場合・島嶼部を事例として
   一.葬儀および仏事と手伝人
   二.料理人・泰蔵、志津麿、守屋
   三.料理人と三宅家仏事供応食
 〔特論2〕「近世から近代における直島葬祭儀礼と豆腐切手のメカニズム」
  ・はじめに
  第一節 直島および三宅家葬祭儀礼
   一.直島および三宅家葬祭儀礼
   二.三宅家仏事献立と豆腐
  第二節 葬祭贈答における「預ケ」「豆腐切手」の出現状況
   一.「預ケ」
   二.「切手預ケ」「豆腐切手」
  第三節 香典贈答と「豆腐切手」の成立と衰退
   一.香典贈答の変容
   二.「豆腐切手」の成立と衰退
 第二章 仏事と儀礼
  ・はじめに
  第一節 朦中見舞い
   一.朦中見舞い
   二.朦中見舞いと堺重
  第二節 年忌法要
   一.「引上げ」と「正當」
   二.仏事と布施
   三.仏事と香典
  ・おわりに
 第三章 葬儀と供応食
  ・はじめに
  第一節 葬儀と儀礼
   一.葬儀互助組織・外的儀礼としての葬儀
   二.免場と役割
   三.葬儀と香典―香典における均衡―
  第二節 葬儀と供応食
   一.家別・葬儀供応食
   二.一汁三菜の成立
  ・おわりに
  〔補註〕 本膳料理
 第四章 仏事と供応食
  ・はじめに
  第一節 「宵越しの仏事」と供応食
  第二節 客の階層と供応食の格差
   一.客と階層区分
   二.仏事供応食の格差と格差を構成する要因
  第三節 仏事供応食と費用
  第四節 三夜四日の仏事
   一.布施と香典
   二.役割と賃銭
   三.献立構成と出膳数
  第五節 祥月仏事
   一.祥月仏事
   二.祥月仏事と供応食
   三.変容する儀礼
  第六節 仏事供応と会席料理
   一.仏事供応と会席料理
   二.献立構成
  ・おわりに
第二部 婚礼儀礼と供応食
 第一章 婚礼と儀礼
  ・はじめに
  第一節 渡辺家・漆原家祝儀関係史料
  第二節 讃岐の婚礼儀礼
   一.婚礼略記
   二.婚礼仕度
   三.土産物
   四.皆子餅と餅配
   五.婚礼祝儀・贈答
   六.役割担当および謝礼
  ・おわりに
 第二章 婚礼と供応食
  ・はじめに
  第一節 渡辺家・「御婚禮御献立記」
  第二節 婚礼供応食と食品
  第三節 魚介類
   一.魚介類の使用傾向
   二.鯛
   三.鯛麺
   四.蛸と烏賊
  第四節 野菜類およびその他の食品
   一.野菜類の使用傾向
   二.茸類・藻類・穀類・卵類の使用傾向
  第五節 鯛の優位性・魚介類の格付け
   一.中世および近世・伝書における鯉の位置づけ
   二.中世における鯉優位の実態
   三.鯉から鯛へ・近世における魚介類の格付けと機能
   ・おわりに
  第六節 婚礼供応食と水産練製品
   ・はじめに
   一.讃岐の史料に出現する水産練製品
   二.水産練製品の商品化・規格化
   三.献立における水産練製品の用途および調理法
   四.水産練製品の種類と用途間の類型化
   ・おわりに
 第三章 婚礼と供応食―客の階層区分と供応食の格差―
  ・はじめに
  第一節 婚礼供応と客の階層区分
   一.近世における婚礼供応と客の階層区分
   二.近代における婚礼供応と客の階層区分
   三.婚礼儀礼の特性と客の階層区分
  第二節 客の階層区分と供応食の格差
   一.近世から近代における婚礼供応食の変容
   二.婚礼供応食と格差の要因
   三.婚礼供応食と格差の変容
  ・おわりに
 終章 三本の柱
  一.儀礼の特性と儀礼固有の供応食
  二.客の階層と供応食の格差
  三.食品の格付けの機能
あとがき

【著者紹介】
〔著者〕
秋山 照子

【出版社から】
香川県(讃岐)の食文化研究の第一人者といってもよい秋山照子氏が、学会誌に発表し続けた論文と新たに研究を深めて書き起こした論文とでまとめあげた一冊。
この本の内容が評価され秋山照子氏は博士号を取得されました。