四国徧禮道指南
ISBN:9784863870314、本体価格:円
日本図書コード分類:C3026(専門/単行本/歴史地理/旅行)
234頁、寸法:××mm、重量g
発刊:2013/04

四国徧禮道指南

【はじめに】
 眞念によって貞享丁卯の年(貞享四年・一六八七)に書かれた「四國邊路道指南」は、四国遍路の起源を考えようとする時に最初に出会う大きな関門であると感じています。この本は、文字によって書かれた四国遍路の重要な資料であり、現代の四国遍路の基礎を作った本であるといえます。
 日本の宗教史の混沌の中に芽を吹き、名もない修行者によって長年育てられてきた四国遍路が文字としてその姿を固定されたのがこの本であると考えています。それは多くの修行者の実践の結果、育まれた四国遍路が、専門宗教家集団の手を離れて、一般庶民が修行の実践者になる四国遍路へと姿を変えようとしている時代でありました。四国遍路の大衆化が始まる時代であったともいえます。
 この本は最初から、私にはとてもとっつきにくい本として映りました。だがどうしても避けて通れない本として、何度も私の前にあらわれましたが、どのように手をつけていいのか分かりませんでした。現代文の読みくだし文に直されている伊予史談会双書の『四国遍路記集』を何度も手に取りながら、読み進めることができませんでした。読む私の側に知識がないために、読み進められなかったというのが本当のところであります。私は出会ってから読み進めるのを何度も後回しにし続け、どうしても必要な箇所や関心のある所だけをつまみ読みするという読者でした。私自身が一九九九年に四国遍路を体験し、書かれている地名になじみができ、さらに四国遍路を勉強しなければならないと叱咤される過程で、別の形で出会ったのが、近藤喜博著『四国霊場記集別冊』でした。この本において、近藤氏は原本を写真で紹介しながら、その文を現代文字での読みくだした文を示し、さらに巻末に時代背景などの分析などの解説をくわえられています。この本で変体仮名をたどりながら江戸時代の刊本を読むスタイルが、私自身に刺戟的でした。このスタイルで読むことが江戸時代の書物にたいし初学者の私にとって非常に有益であったともいえます。古文書を読む勉強と、本の内容を知ることが同時にできるという点でです。しかし近藤氏のこの本はとっくに絶版になり、図書館等でしかお目にする事が出来ない本でありました。私は香川大学の遍路研究の先学の真鍋桂先生にお借りして読むことができました。このことにとても感謝しております。

 『四国徧禮道指南』、近藤氏が紹介したのと同じ貞享四年出版の本が、古書店を経由して、偶然私の手元に巡ってきました。近藤氏の本と同じ出版年をもつ『四国徧禮道指南』です。きっと三〇〇年余の間に想像を絶する多くの人の手を経てたどり着いたものであろうと思います。書名が同じと考えて最初は近藤氏の紹介した本との違いを強く考えませんでした。眺めているうちにこれは近藤氏の紹介した本と全くの異本の関係にあることが分かりかけました。まず書名が違っていました。このことが分かるまでの相当時間この本と対峙しなければなりませんでした。近藤氏の本には原本の写真が添えられていることにより、注意深ければすぐ気付くことでしたのに。近藤氏の紹介した刊本の一頁が六行の文で構成されているのに対し、私の手元にある「四国徧禮道指南」は一頁が八行で構成されています。そこから考えて見ると、両者を印刷した版木が全く
別物であることを推測しました。同じ本なのに、全く違う版木より印刷された二つの本、なぜこういうことが起こるのでしょうか。そしてそのずっと後に書名が違うことにも気がつきました。邊路と徧禮、遍路の漢字が違うのです。このような形で私の中に疑問がどんどん大きくなっていきました。

 少しずつ読み比べながら進めると、書かれている内容はほぼ同じといってもいいのですが、かなりの箇所が相違していることが分かってきました。二つの本の一方が正しくて、一方に間違いが多いという、複製をつくる過程で生じる相違のあり方ではありません。二つの本とも、その本の中では文意も、内容も齟齬はないのですが、本として二冊は違っているという印象です。これについていろいろと想像しました。まず著者眞念が改めて原稿を書き換えたことを考えました。次に誰かによって、よく売れた本ということを聞いていましたので、海賊版を作ろうとして、写す過程で誰かの意図が入りこの変化が生まれたのかもしれないとも考えました。当時の日本人に版権の意識が薄く海賊版のような複製版が作られるということも聞いていました(この認識は間違いであることをのちに遍路研究者の新居正甫氏に教えていただくのでありますが)ので、原稿は同じなのですが、版木を彫る彫師の段階で眞念以外の他人によって変更されたとも考えました。ますます興味ふかい問題をいくつも想定しました。私の推測はあとの解説の部分で述べようと思います
 時間がたつにつれてこの『四國徧礼道指南』も近藤氏が行った出版物『四国霊場記集別冊』のように写真版で残すことが後世の遍路研究に大きな手助けとなるのではないかと思い始めました。香川大学に瀬戸内圏研究センターがあります。そこを経由して香川大学地域連携推進経費という研究申請を申請しました。運良く申請が認められ、この本の出版が日の目を見ることができるようになりました。

 巻末につけた解説としては二編を考えました。最初に筆者が香川大学経済論争に投稿した、近藤喜博氏が上梓した赤木文庫本とここに収録した稲田本(ここでは仮にこう呼ぶことにします)との記述の相違について考察した小論です。投稿以降も筆者の側での調査の結果現代文への読みへの学びがすすみ、さらに訂正できる部分にも気づきましたが、この巻末には投稿当時の原稿を少し改善しただけで収録しました。多分おかしいところに気づかれると思います。さらに眞念と当時の大坂についての短い文をつけ加えました。まだこの分野での研究は進むと考えます。新たな資料が発見され、それにより論考が書き換えられることを期待しております。

 江戸時代に書かれた文献なので、現代から考えると差別的で不適切な用語や文が当時の考えのまま用いられております。これを認めるものではありませんが、差別根絶の立場から差別の史実を知っていただく意味でもそのまま収載しました。読まれたことが人権擁護、差別根絶の意識につながることを望んでおります。

 最後に、現代文に直す課程で多くの人の知恵を借りました。渡辺達雄氏、冨田博子氏、堀純子氏、田中健二氏の方々です。読みくだし文の間違いは稲田道彦の理解が至らないために起こったものであることを言い添えます。  二〇一二年一二月
〔参考文献〕
 近藤喜博(一九七四)『四国霊場記集別冊』勉誠社、五三四頁
 新居正甫(二〇一三)「『四國徧禮圖』について―「大坂本屋仲間記録」にみる書誌学的考察―」私家出版、二三頁
 稲田道彦(二〇一二)「最初期の四国遍路のガイドブック『四國邊路道指南』と『四國徧禮道指南』の相違について」香川大学経済論争 第八五巻一・二号、五―二四頁
 伊予史談会(一九八一)「四国遍路記集」伊予史談会双書第三集、愛媛県教科図書株式会社、三二五

【目次】
はじめに
四(し)國(こく)徧(へん)禮(ろ)道(みち)指(しる)南(べ)
最初期の四国遍路のガイドブック「四国邊路道指南」と「四国徧禮道指南」の相違について
眞念と周辺の大坂の人々

【著者紹介】
〔著者〕
稲田 道彦