讃岐の仏像 下 第2版
ISBN:9784863870512、本体価格:1,000円
日本図書コード分類:C3015(専門/単行本/哲学心理学宗教/仏教)
226頁、寸法:148×210×11mm、重量270g
発刊:2014/01

讃岐の仏像 下 第2版

【おわりに】
 県下を大きく、西讃、中讃Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・東讃・島しょ部の六地域に分け、時代順に見てきたが、どの地域にも古像が遺されており、特にどの地域に古像が多いということは明言できないことが分かるであろう。
 さて、日本に仏教が伝えられたのは、一般的に欽明天皇13年、すなわち西暦538年であるといわれるが、では、讃岐に仏教が伝えられたのはいつであろうか。
 現存する仏像あるいは古代寺院跡などから見て七世紀後半ころにはかなり大きな寺院が県内各地に建立されていたことが考えられる。
 それは、奈良に通じる大きな街道筋すなわち南海道の周辺に建立されたことと思われる。例えば白鳥廃寺・開法寺・宝幢寺などである。これらはまた大きな川の中流域に広がる平野部であったともいえよう。それは古墳時代から開けた土地でもある。
 そしてこれらの寺院と直接関係があるかどうか判明しがたいが白鳳・天平時代の仏像が與田寺(東かがわ市中筋)をはじめとして数体遺されている。
 平安時代に入って空海、最澄が唐から密教を伝え、古来の山岳宗教と結びついて、高山霊峰に寺々が建立された。
 讃岐においても屋島寺・根香寺・白峰寺などは平安時代における密教の修行地として建立されたことが遺された仏像などからも推測できるのである。
 やがて世は、密教の時代から浄土教の時代へと移っていく。これは永承七年(1052)にいよいよ末法の時代が始まるとされたため、多くの貴族は、極楽浄土への憧れとともに阿弥陀如来に救いを求めた。このころ登場したのが、仏師定朝である。彼は寄木造りの法を完成させると共に相好円満な仏像をつくったがそれは後々まで「仏の本様」と称された仏像である。こうした様式のものは定朝様といわれ藤原時代末期(12世紀)には全国的に流行した。もちろん讃岐にも妙音寺の丈六阿弥陀如来をはじめとして枚挙にいとまがない。
 続く鎌倉時代も前代に続いてより一層、浄土教思想が広まった。それは法然の讃岐配流、一遍の讃岐巡行などによったと思われるが、いわゆる来迎印を結ぶ阿弥陀如来立像が数多く遺されている。
 それらの仏像は、仏師快慶が造り出した写実的な仏像の流れを引くもので安阿弥様と称されており、法然寺像をはじめ、蓮光院(観音寺)土井阿弥陀堂像(三豊市仁尾町)などにその遺例をみることができる。
 これらは、真言宗の本尊として祀られることも多く、この時期の信仰形態の多様性が表われている。
 また、讃岐には、中国、朝鮮の仏像が見られるのも一つの特徴であろう。
 朝鮮三国時代・統一新羅時代の白毫院の金銅仏像三体。正覚院(本島)の明代と思われる聖観音坐像などである。
 以上、香川県内の鎌倉時代までの主な仏像の概要を記したが、上・下巻の2冊に亘った不便さや掲載できなかった仏像がいくらかあり悔いが残るが、いずれこれらを合わせて『讃岐の仏像彫刻史』としてまとめてみたいと念願している。

【あとがき】
 昭和58年9月に『讃岐の仏像』上巻を出版した。これは私にとってはじめての拙著であるが、県下の知られざる古仏を数年間に亘って調査したものをまとめたものであった。幸いに好評で多くの人々から励ましの言葉を頂いた。
 その後、しばらく仏画の調査に追われて仏像の方は見送っていたが、最近になって時々「下巻はいつ頃?」という声を聞くようになって、慌てて上巻で調査もれになっていた寺院や重要文化財・県文化財に指定されている仏像の調査、写真撮影にとりかかった。
 調査寺院はおよそ90ヵ所であった。いずれも快く所蔵の仏像を拝ませて頂いたが、そうした中で最も印象深いのが白毫院の金銅仏三体である。
 この像の発見は、今年2月9日に放映されたNHKテレビの「西日本の旅」がきっかけとなった。
 その日の番組は、偶々私の知人がレポーター役であったので、特に興味深く見ていたが途中、僅か数秒であったが白毫院の宝物の一つとして金銅仏が映った。
 テレビはその仏像が源平合戦にゆかりのある像であることを述べたが、私にはもっともっと古く感じられた。
 早速その夜、白毫院に電話をかけたが通じなかった。次の日もまたその次の日も通じなかった。4日目の夜にやっと通じて、住職様が四国遍路に出ていたことを知った。そしてテレビに映った金銅仏のことを話し近くお伺いすることをお願いした。
 2月13日、白毫院を訪れると、住職は「これです」と小さな木箱を出してきた。中には布に包まれた仏像が3体、いずれも鍍金が鮮やかに残っていたが、意外に小さいのに驚いた。しかし、手にするとズッシリと重い。
 いわゆる一鋳のムクの像である。その中の一体は、衣の裾が左右に広がる飛鳥仏の像容を示している。
 金銅仏については、昭和59年5月にも高松市西方寺で白鳳時代の釈迦誕生仏を見つけて以来、少しずつ勉強はしてはいたが、なに分にも手に取って見たものはあまりにも数少なく、偽物が多い金銅仏の年代判定は非常に難しい。しかし、どう見ても本物らしい。私は入念に写真撮影して白毫院を辞した。
 家に帰って、すぐに現像、焼付けして、数少ない参考書と照らし合せたが、どうも古代朝鮮の仏像であるらしいことが分かった。
 1体は統一新羅時代、他の二体は朝鮮三国時代である。久しぶりの感動に身が震えるのを禁じえなかった。
 振り返れば、印象深いものはまだまだ多いが、国分寺の仁王像には参った。昭和60年5月10日に国分寺の兜跋毘沙門天の撮影のために訪れ、仁王門の中の仁王像を見て驚いた。力強い面相部、ぶ厚い上半身の造形、全体のプロポーションも破綻がない。紛れもない鎌倉時代の仁王像である。全国的にみても鎌倉時代の仁王像はさして多くはない。
 県下の仏像に関する本や報告書はかなり多いが、この仁王像について記したものは1つもない。
 国分寺といえば国の重要文化財が3件もあり、すでに多くの諸先生方が調査を行っているはずであるが、この仁王像は見忘れていたらしい。そういう私も実は3年ほど前にこの仁王門をくぐっていたのだから人のことは責められたものではないのだが。
 このように新しい発見がある度によくも何世紀にも亘って保存されてきたものであると感激させられるのであるが、時には悲しいできごともあった。
 これは、ごく最近のことであるが、善通寺市立図書館で、昭和30年に発刊された『四箇村史』(現多度津町)を読んでいると、グラビアのページに「春日神社釈迦尊像」と記され、釈迦誕生仏の写真が掲載されていた。その像は左手を上げ右手を下げており通形の誕生仏とは逆手でしかも裳が褌状である。一見して古代朝鮮の誕生仏であると直感した。
 これは、大発見であると小躍りしながら、家に帰って早速、多度津町の郷土史家である杉岡茂先生に、この像の所在を確認して頂きたい旨を電話でお願いした。
 1時間ほどして杉岡先生から返答を頂いた「―残念ながらその像は20年ほど前に盗難にあい今はありません……」
 予想をしないでもなかったが、僅か30年前の村史であったので、まさにガックリときた。どんな泥棒かは知らないが、たまらなくその泥棒が恨めしく思えた。
 写真に写っている誕生仏は今どこにあるのか? 骨董マニアの手に渡って小さな桐箱に納められているのであろうか。あるいは海を渡ったか? その夜はいつになく寝つきが悪かった。
 このように発見の喜びや、悲しい思い出をくり返しながら早、6年近くもたった。今後とも少しずつ気長に調査は続けたいと思っている。
 最後になりましたが、快く所蔵の仏像を拝ませて頂いた寺院のご住職様や御堂の管理者の皆様に厚く御礼申し上げます。
 なお、掲載写真の一部は四国新聞社よりご提供頂きました。記して謝意を申し上げます。
   昭和60年8月1日  武田 和昭

【目次】
香川県文化財  銅造釈迦誕生仏     與田寺(東かがわ市中筋)
香川県文化財  銅造釈迦誕生仏     香川県教育委員会(高松市)
        銅造釈迦誕生仏     西方寺(高松市)
        銅造釈迦誕生仏     柞原寺(三豊市高瀬町)
香川県文化財  木造釈迦如来坐像    観音寺(観音寺市)
        木造釈迦如来坐像    某堂
        木造釈迦如来坐像    東光寺(丸亀市)
重要文化財   木造涅槃仏像      観音寺(観音寺市)
重要文化財   木造薬師如来坐像    長福寺(さぬき市鴨部)
        木造薬師如来立像    延命寺(高松市)
香川県文化財  木造薬師如来坐像    観音寺(観音寺市)
        木造薬師如来坐像    金輪寺(丸亀市)
        木造薬師如来坐像    甲山寺(善通寺市)
重要文化財   木造薬師如来坐像    東光寺(丸亀市)
香川県文化財  木造薬師如来坐像    長命寺(丸亀市)
香川県文化財  木造薬師如来坐像    與田寺(東かがわ市中筋)
        木造薬師如来坐像    屋島寺(高松市)
重要文化財   板彫阿弥陀曼荼羅    開法寺(高松市)
        木造阿弥陀如来立像   金倉寺(善通寺市)
香川県文化財  木造阿弥陀如来立像   威徳院(三豊市高瀬町)
        木造阿弥陀如来坐像   長徳寺(丸亀市)
重要文化財   木造阿弥陀如来坐像   妙音寺(三豊市豊中町)
        木造阿弥陀如来立像   安養寺(丸亀市)
        木造阿弥陀如来立像   弘海寺(東かがわ市水主)
        木造阿弥陀如来坐像   栄国寺(東かがわ市湊)
香川県文化財  木造阿弥陀如来坐像   下司阿弥陀堂(三豊市高瀬町)
        木造阿弥陀如来立像   某堂
        木造阿弥陀如来坐像   善通寺(善通寺市)
香川県文化財  木造阿弥陀如来立像   清立寺(坂出市)
        木造阿弥陀如来立像   清道寺(坂出市)
香川県文化財  木造阿弥陀如来坐像   郷照寺(宇多津町)
        銅造阿弥陀如来立像   善通寺(善通寺市)
        銅造阿弥陀如来立像   明王寺(小豆島町)
        木造阿弥陀如来坐像   遍照寺(丸亀市)
        銅造阿弥陀三尊立像   極楽寺(小豆島町)
香川県文化財  木造大日如来坐像    正法寺(小豆島町)
        木造大日如来坐像    長勝寺(小豆島町)
        木造大日如来坐像    観音寺(観音寺市)
香川県文化財  木造阿閦如来坐像    持宝寺(丸亀市)
香川県文化財  木造弥勒如来坐像    旧惣持寺(丸亀市)
        銅造如来形立像     某寺
        銅造如来形立像     某寺
        銅造如来形立像     某寺
        銅造観音菩薩立像    教育委員会(宇多津町)
重要文化財   乾漆造聖観音坐像    願興寺(さぬき市造田是弘)
重要文化財   木造聖観音立像     釈王寺(東かがわ市大谷)
香川県文化財  木造聖観音立像     観音寺(土庄町)
香川県文化財  木造聖観音立像     曼荼羅寺(善通寺市)
        木造聖観音立像     円光寺(東かがわ市水主)
重要文化財   木造千手観音坐像    屋島寺(高松市)
重要文化財   木造千手観音立像    聖通寺(宇多津町)
        木造千手観音坐像    某寺
        銅造千手観音坐像    開法寺(高松市)
        木造千手観音立像    延命寺(高松市)
重要文化財   木造十一面観音立像   堂床区(綾川町)
重要文化財   木造十一面観音立像   金刀比羅宮(琴平町)
重要文化財   木造十一面観音両脇士像   志度寺(さぬき市志度)
        木造十一面観音立像   観興寺(高松市)
重要文化財   木造不空羂索観音坐像  法蓮寺(三豊市高瀬町)
        木造如意輪観音坐像   善通寺(善通寺市)
重要文化財   木造地蔵菩薩立像    善通寺(善通寺市)
香川県文化財  木造地蔵菩薩立像    弘憲寺(高松市)
重要文化財   木造地蔵菩薩立像    法道寺(綾川町)
        木造地蔵菩薩坐像    聖徳院(宇多津町)
        木造地蔵菩薩坐像    浄源坊(土庄町)
        木造地蔵菩薩立像    某寺
        木造地蔵菩薩立像    某堂(坂出市)
重要文化財   木造菩薩立像      正花寺(高松市)
香川県文化財  木造菩薩立像      恵光寺(まんのう町)
重要文化財   木造不動明王立像    弘憲寺(高松市)
        木造不動明王立像    海岸寺(多度津町)
        木造不動明王坐像    浄土寺(さぬき市津田町)
        木造愛染明王坐像    長福寺(高松市)
香川県文化財  木造五大明王立像    根香寺(高松市)
重要文化財   木造毘沙門天立像    香西寺(高松市)
        木造毘沙門天立像    国分寺(高松市)
香川県文化財  木造兜跋毘沙門天立像  威徳院(三豊市高瀬町)
        木造兜跋毘沙門天立像  国分寺(高松市)
重要文化財   木造吉祥天立像     善通寺(善通寺市)
        木造吉祥天立像     弥谷寺(三豊市三野町)
香川県文化財  木造帝釈天立像     宗運寺(三豊市山本町)
        木造四天王立像     観音寺(観音寺市)
        木造四天王立像     道隆寺(多度津町)
重要文化財   木造四天王立像     鷲峰寺(高松市)
香川県文化財  木造二天立像      正法寺(小豆島町)
        木造二天立像      本山寺(三豊市豊中町)
        木造大黒天坐像     吉祥院(三豊市仁尾町)
香川県文化財  木造金剛力士立像    志度寺(さぬき市志度)
        木造金剛力士立像    国分寺(高松市)
        木造聖徳太子立像    聖徳院(宇多津町)
        木造蔵王権現立像    某寺
讃岐の仏像
あとがき

【著者紹介】
〔著者〕
武田 和昭

【出版社から】
再版ですが内容に大きな修正はありません。