西嶋八兵衛と栗林公園 治水利水の先覚者 復刻版
ISBN:9784863870642、本体価格:500円
日本図書コード分類:C0025(一般/単行本/歴史地理/地理)
64頁、寸法:148×210×5mm、重量137g
発刊:2015/09

西嶋八兵衛と栗林公園 治水利水の先覚者 復刻版

【内容紹介】
香川観光の看板とも言える栗林公園、その前身である栗林荘の成り立ちに深くかかわった土木技術家・西嶋八兵衛(1596~1680)の生い立ちや、香川に 残した治水利水の功績を、同公園観光事務所長(当時)である著者が調査研究し、昭和37年に発表された、同名書籍の復刻版。公園の創始やその特色、池の改 修や河川の付け替えなど、八兵衛の手がけた土木事業の詳細、治水の願を託して残したと言われる「大禹謨」碑についてなど、史実・文献等に基づき調査を重ね まとめられており、観光・文化財的視点からおいても興味深い歴史調書。

【復刻版発刊に当たって】
 このたび、「治水利水の先覚者西嶋八兵衛と栗林公園」の復刻版が発刊されますことを、心よりお慶び申し上げます。
 本書は、昭和37年、当時の栗林公園観光事務所長であった藤田勝重氏により、西嶋八兵衛が寛永年間に香川県に残した多大な功績や、栗林公園の成り立ちと特色について、詳細な研究を行った成果をまとめられたものであり、本県の郷土史を語るうえで大変貴重な資料となっています。
 とりわけ、氾濫を繰り返していた香東川の東の流れをせき止め、西の流れに一本化して高松の地を守るという一大改修工事について、藤田氏は、西嶋八兵衛に関わる方々の協力を得ながら調査を重ねられ、西嶋八兵衛が行ったものと確信されるなど、その飽くなき探求心は、まさに敬服の至りです。また、その流れをせき止めた分岐の地に鎮めたという「大禹謨」の碑が、今、栗林公園に安置されているというエピソードも、まことに興味深いものがあります。
 西嶋八兵衛による改修工事により、かつての香東川の東の流れの跡に地下水の豊富な土地が生まれ、そこに造られた栗林荘が、栗林公園へと発展してまいりました。県としても、先人の偉大な功績を引き継ぎ、これからも、国内外の来園者に楽しんでいただけるよう、栗林公園の魅力の向上に努めてまいります。
 なお、「大禹謨」の碑は、本書にあるように、治水の神とされる中国古代の聖王「禹王」に祈り、あやかろうとする碑ですが、現在では、全国各地に同様の碑があることが分かっています。平成22年に、「禹」の字が刻まれた碑のある地域の自治体や研究団体などが一堂に会する全国サミットが初めて開催され、平成25年には、栗林公園で行われ、交流の輪が広がっています。
 復刻版の発刊を機に、本書が多くの人に読まれ、語り継がれていくことにより、学術研究の資料として広く利用されるとともに、栗林公園をはじめ香川に対する人々の関心や理解が深まることを願ってやみません。
   平成29年9月  香川県知事  浜田 恵造

【序文】
 古来「国を治めんとするものは先ず水を治む」と言われ、治水利水の事業は今もなお重要なる施策である。西嶋八兵衛は寛永年間、伊勢の国藤堂藩から讃岐の国生駒藩に出仕し、香川県の灌漑、治水等の土木事業に長年多くの功績を残される。
 天下の名勝栗林公園が今日あるは、この西嶋八兵衛の香東川の大改修に際し、川の流れを変更したことに源を発する。
 たまたまこの香東川の河畔に住む藤田勝重君、栗林公園の所長としてその任につく。爾来職務に精励するかたわら、栗林公園の創立の経緯とこの公園の造園上の特色を史実、文献等に基づき詳細に調査研究を重ぬ。時に香東川の河畔に「大禹謨」と刻した自然石の碑のあるを発見、同君の調査の結果、西嶋八兵衛の筆になることを知る。
 「大禹謨」とは黄河の水を治めて中国の帝位に即いた大聖人禹のはかりごとの意味であり、香東川の大改修に際し西嶋八兵衛が、治水の神とも言うべき大聖禹王の徳をたたえ、「香東川の水よ安かれ」と祈りながらこれを書し、石に刻したものであると究明を重ねた藤田君の調査研究は進む。
 この篤学の士藤田君、学識上の情熱のわくところ、栗林公園の研究とともに西嶋八兵衛の功績について調査をつづけ、今日先人の及ばなかったところまで解明し、これを今回一書にまとむ。その熱意たるや烈なるものを感じ、その労たるや実に多とすべきである。
 しかも現在全国的に総合開発の名の下に大きい視野に立って施策を樹立し、これを実行すべき気運の高まっているこのときに、大聖禹王の治水上の大功績を想起する「大禹謨」と刻する自然石の発見を見るに至る。実に感深い。
 この著作が栗林公園を愛し、郷土を愛し、歴史を愛し、日本を思う人々のために大いに裨益せられんことを願って序としたい。
   昭和37年10月  香川県知事  金子 正則

【藤田君の新著に寄せて】
 藤田勝重君は仕事熱心な人で、常に自分の持ち味を生かして仕事をする人である。
 昨年、君が栗林公園観光事務所長になられた時、どういう発想で新しい仕事をはじめることかと、期待をもってきた。
 先日、久々に訪ねてこられ、その話をきいているうちに、栗林公園の発祥に興味をもって調べはじめたこと、そのために栗林園に関する既刊の論文をほとんど調べ、栗林園研究家といわれる、ほとんどの人に接し、一応公園に関する研究を集大成する努力をはらったということであった。更にまた栗林園築庭には、西嶋八兵衛が寛永年間香東川をつけ替えたことに関連があり、その遺蹟として香東川畔に「大禹謨」の碑があることが分り、先般それを公園内に移したことなどを話された。
 その話しぶり、研究態度など全く君らしい熱情があふれていた。
 今回、多くの人に勧められて「治水利水の先覚者西嶋八兵衛と栗林公園」を取りまとめて、公園研究の一端を世に出したいという。大禹謨と西嶋八兵衛に関する研究は、君によってはじめて明らかにせられたことで、郷土史上、大へん貴重なものである。
 栗林公園は観光香川の看板である。観光関係、文化財関係の方々はもとより、多くの識者によって、この新著が愛読されんことを願ってやまない。
  昭和37年10月  香川県教育長  久保田 英一

【序文】
 西嶋八兵衛は寛永の頃讃岐生駒藩に仕えて、その間数々の治水事業に偉大なる足跡をのこし、本県土木工事史上、かの道路建設の大恩人大久保諶(じん) 之(じょう) (の) 亟とともに双璧として並び称さるべき人物である。
 彼の85年の生涯になした治水の業績は、単に讃岐のみにとどまらず、伊勢、伊賀、大和、山城の諸国、及び更に遠く江戸にまで及んでいる。
 大正4年11月、その功により正五位を贈られたのであるが、彼は元来伊勢藤堂藩の家臣で寛永二年来讃、故あって離藩したのが同16年、その直後に於て生駒藩は遠く奥州の地に転封されたため、当時の資料が散逸し、本県における彼の事績が今日余り詳らかでないことはまことに残念である。
 彼の遺した幾多の業績中最も顕著であると看做されるものは、香東川本流のつけ替工事であって、当時の河川の流れを現在の川筋に改修したものであるが、この工事に就いても極めて適確なる記録に乏しく、従って竣工の際彼がその地に自ら鎮斎したと伝える「大(たい) 禹(ぼ) (う) 謨」の碑石についても、世上余り知る人は少ない。
 因みに「大禹謨」なる語は中国最古の史書「尚書」にあり、大聖禹の広大なるはかりごとを記述したもので、周知の如く禹は黄河の治水に尽すいして遂にはこれを達成し夏の始祖として崇められ、西嶋八兵衛はこの禹王を敬慕し、その偉業にあやからん事を期してかかる碑石を香東川の河域に据えたものと思われる。
 この多年顧みられなかった「大禹謨」の碑石が偶々地元有志の御厚意によって栗林公園の一隅に移設されることになり、更にこれを契機として西嶋八兵衛の研究家藤田勝重氏の手によって彼の人物、その業績が初めて世に紹介されて顕彰されることは、同じく建設事業に携わるものの一人として、私にとって一入意義深く又喜ばしいことでもある。
 今や本県の建設事業も日を追うて躍進し、「吉野川導水」「本土―四国架橋」の大構想もあながち夢でなく、現実の問題となって迫りつつある。この秋にあたり、先人の為し遂げた鏤骨の偉業を偲び、更にこれを辱しめざる様一段の研さん、努力を積まなければならぬことを痛感して、ここに拙文を誌して本書発刊の序とする次第である。
  昭和37年10月  香川県土木部長  能登 尚平

【序】
 明治40年の春三重県津市に於て勧業共進会が開催された。其時鉄城田中善助氏は敬慕する西島八兵衛が、土木水利に練達の士なることを記録した小冊子を印刷して頒布せられた。次て大正4年11月大正天皇即位の大典を挙げ給ふや洽く功臣に位を賜ふ。八兵衛翁も亦之に与り正五位を追贈せられぬ。贈位記は西島家の当主常郎氏は私の再従兄なるにより、氏を伴ひ三重県庁にて戴いたのであった。其日伊勢雲出井手にては贈位奉告祭を挙げられ参列した。上野にては大正5年伊賀史談会主催にて贈位奉告祭を正崇寺の墓前に行い、墓後に贈位碑を建てた。
 私は田中社長の下に伊賀電鉄、比奈知川水電、朝熊ケーブルなどに従事していた関係にて、田中社長より八兵衛翁の偉功を聴き、且つ西島家の縁者とて翁の伝記を完成したく思ふに到った。昭和28年満濃池を探ね池守の人より八兵衛翁に協力した矢原正直氏の後裔が、善通寺市讃岐宮の宮司で在らせらるることを教へられしも、旅程の都合にてお訪ねせず、帰来書を栽して御教示を得しも、更に委しく矢原家襲蔵の文書類を拝見したく、34年夏矢原家に候し、御同席の福家惣衛先生との両氏より種々御垂教を賜った。その談中大禹謨の逸話を聴いたのであった。
 この度その碑石を栗林公園へ遷すに当り、藤田氏は再々上野市に来り、上野市立図書館に保管の西島文書及6月より開催の八兵衛展に、西島家より出陳の文書類を精査せられた。然して7月7日大禹謨移転の祭典に老生も招かれ参列したのである。
 今茲本書を刊行せられ、八兵衛翁の功績を誉ヘらるること、伊賀人殊に縁者として感謝に堪へず、敢て蕪辞を並べた次第である。
  昭和37年10月  三重県文化財専門委員  村治 円次郎

【もくじ】
復刻版発刊に当たって  香川県知事 浜田恵造
序文   香川県知事 金子正則
     香川県教育長 久保田英一
     香川県土木部長 能登尚平
     三重県文化財専門委員 村治円次郎
一、治水利水の先覚者西嶋八兵衛と「大禹謨」
  一 はしがき
  二 香東川とその改修
  三 西嶋八兵衛
  四 讃岐における西嶋の功業
  五 正五位贈位並びにその後
  六 「大禹謨」の出現
  七 「大禹謨」栗園に遷る
  八 結語
二、栗林公園の創始は何時か
三、栗林公園の造園上、結構上の特色
 付録
  西嶋八兵衛之友事歴年表
  栗林公園年表
 あとがき

【著者紹介】
〔著者〕
藤田 勝重