古高松郷土誌Ⅱ
ISBN:9784863871182、本体価格:円
日本図書コード分類:C0021(一般/単行本/歴史地理/日本歴史)
頁、寸法:××mm、重量2270g
発刊:2020/06

古高松郷土誌Ⅱ

【特別寄稿 古高松に寄せる思い】
   古高松郷土誌編纂委員会特別顧問  久保 正彰
 〝ふるたかまつ〟という言葉の響きは、私が文字を教わるよりも以前の幼い心に、幾つもの懐かしい景色や思い出を、美しく刻み込んでくれたように思います。家の北側の座敷の縁側の濡れ縁から見上げると、視野一面に、巨大な緑色のお握りのように立ち誇る屋島の姿がありました。高松から見れば平たい大屋根のように見える屋島も、古高松の家から見れば正三角形にしか見えなかったのです。耳に聞こえるのは、家のすぐ東を走る高徳線の蒸気機関車の元気一杯の汽笛の響き、ピストンの音。夏であればひねもす絶えることなく、庭の樹々をゆるがすような蝉の声でありました。
 小学生の頃になると、屋島の東、檀ノ浦のあたりの山地を少し登った森のなかで昆虫採集することを教わり、これが私の〝ふるたかまつ〟を忘れがたい喜びの泉に変えるきっかけ特別寄稿となりました。ほとんど自然のままに生い茂る木立のなかは、踏み込めば靴が埋もれてしまうほど古い落ち葉が厚く積もっていて、それがカブトムシたちにとって絶好の巣となっていたのです。大きな角をもつ元気一杯のカブトムシを何匹も捕まえて、其の角でも破れないような、頑丈な針金つくりの虫かごにいれて持ち帰り、幾度、友達に見せびらかして羨ましがらせたことでありましょうか。〝ふるたかまつ〟は私にとって、何にも勝って誇るべき宝の里でありました。
 昭和18年、戦禍が本土の都市を脅かし始めるに及んで、私たち一家も大阪から古高松の古屋敷に疎開を余儀なくされ、私は高松中学に転校しましたが、終戦の日を迎える日まで、授業はほとんど行われず、毎日林の飛行場つくりに勤労動員されておりました。腹ぺこになって古高松まで帰ってくると、私はまず東の土塀沿いに列をなして植わっている富有柿の樹に走って行き、枝もたわわに実っているその実でお腹を一杯にしてから、家の敷居をまたぐのを常としていました。
 この古高松の古屋敷はいまから300年ほど昔(西暦1700年頃)に建てられたものでありますが、今はその影も形も無く、ただ私の記憶のなかにのみ昔のままの姿を留めております。敷地は千坪ほどあり、大きい屋敷門は深々とした茅葺で、家は医業に従事し、その表門両側の塀沿いの5つばかり小部屋は、入院患者を収容するためであったと聞いております。私より8代昔の久保桑閑以後、代々、私の曾祖父仲三郎の代まで、家長たちは長崎でオランダ医学や薬学を学び、家業を維持してきておりました。
 久保桑閑のものとして今に伝わる遺物はただ、枯木の墓碑と、郵便局の脇に残っている「鍬塚」の碑文のみでありますが、私の学生時代にはまだ、屋敷の土蔵の一つには、無数の書籍や標本、医療器具の類いが、幾段もの棚にうずたかく積まれていたことを覚えております。
 また、座敷の南側の庭は、古い藤棚によって広く覆われており、その南端には巨木か岩かと疑うばかりの逞しい藤の幹がありました。この藤の花は並外れて房が長く、満開すれば5、6尺ほどと、穂先は地面に触れる程もありました。しかしもとは鉢植えで、昔オランダの船が長崎まで運んできたものを、清人楊元亨が桑閑に贈ったものでありました。それが家ではオランダの藤と呼ばれて、このような姿にまで育ち、久保の屋敷も〝藤陰書屋〟という屋号で知られるようになり、毎年5月にはその藤棚の下で、花の香りにつつまれて酒宴が開かれていたと、いうことです。
 今は古屋敷もろとも、藤棚も跡形なくこの世からは消えております。ところが、まことに不思議な御縁で、最近このオランダの藤が、オランダで日本の藤となって私の目の前に現れるという稀有なる経験をいたしました。その出合いを簡単に御紹介させて頂き、私の古高松に寄せる思いの締めと致したく存じます。
 私は若い頃より古代ギリシャの文物に興味を抱き、一途にその学問を業として老いて参りました。30年程昔、ホイエルという名の17世紀オランダのある学者が残したホメロス研究の業績に深く興味をひかれ、それ以来、公用で訪欧するたび時間を割いて、その道に詳しいオランダの学者たちを訊ねては教えを乞う旅を、15年以上も繰り返しておりました。
 あるとき、ホイエル関係の資料を求めて、オランダのレイデン大学の貴重書文庫を訪れたときのこと、道ばたの高い垣根沿いに、なんと私が子供のころより慣れ親しんできたあの〝オランダの藤〟が、長い、美しい紫白の花房を5月の風になびかせて咲き誇っているではありませんか。しかし、花よりも、もっと私を驚かせたのは、その名札に記されている文字でありました。「日本の藤 Wisteria Japonica」と書かれていたのです。このレイデンの道ばたの藤の木は、あのシーボルトが19世紀半ば、日本から持ち帰った珍しい植物ばかりを植えて作った植物園の、垣根に使われていたのです。
 でも、何故、どう見ても同じ特色を持つ藤の樹が、日本の古高松ではオランダ産と呼ばれ、オランダのレイデンでは日本産という名になっているのか。この時、私を心の底から驚かせたのは、一方で遠い古高松で書物に埋もれてオランダの医学をものにしようと、幾世代もの努力を重ねていた私の先祖たちの姿と、他方遠いギリシャの詩人ホメロスの研究に短い生涯を捧げて亡くなったオランダの学者ホイエルの姿が、同じ藤の長い花房に絡まりあって、紫白の波を私の前に送ってきている、それを自分の眼が目の当たりにしている、という思いからでありました。学問の二つ道が東西別々に一つの花を咲かせている、と思い込んだ所為でしょうか。私の古高松への思いが、この時ほどに強烈に、学問への思いと一つになって、眼と心を焦がした事はかつてありませんでした。
 私たちの記憶には無尽蔵の宝が眠っている、そしてそれは私たちが命ある限り自分の道を一歩でも先に進めるための努力を重ねることによって、そのどれかが、記憶の底から眼を覚まし、新しい輝きを放つ。私の古高松に寄せる思いは、古高松に寄せる尽きせぬ感謝の思いを甦らせ、そこから明日への私の道が開けて行くと信じております。

【特別寄稿 ふるさとの山に寄せる思い】
   古高松郷土誌編纂委員会顧問  矢野 輝男
 私たちの住む古高松は、南に久米池、北に相引川と屋島が控え、東には南北に走る山々が連なり、西は新川、春日川へと展開しています。昭和から平成、令和と時代が移り変わっても、古高松地区は緑や水に囲まれた、自然多きふる里であることが分かります。
 ただ、古高松地区の背景をなす山々が、近年、松くい虫による被害を受けて、松林から雑木林へと変化しているのが気がかりでなりません。山を流れる水は、木々を潤し、景観保全の役割を果たすだけでなく、水路を伝って下流にある溜池に集まり、貴重な農業用水として活用されてきました。しかし、源泉となる山については、ほとんどの人が実態を知らずに今日に至っています。
 終戦の頃までは、日照り続きで干ばつの恐れがあるとき特別寄稿に、地域の人々が陵山と呼んでいた山の頂上へ割木を運び、夜になると火をたいて雨乞いをしたものでした。戦後、山々は所有者の代替わりとともに、山の知識を持たない人々に分割譲渡されてきました。同時に、山を管理していた専門家の山番の手からも放れてしまったのです。仕方がないとは言え、とても残念なことです。
 その上、燃料に使われていた材木が、石油やガスに取って代わられ、材木の需要が急速に低下しました。折から大発生した松くい虫の被害と重なり、山は全く収入源にならなくなったのです。こうして放置されたまま半世紀余りが過ぎた山は、荒れ果てただけでなく、今日では人の出入りが危険な場所も少なくありません。
 一昨年、全国各地で起こった山林災害のほとんどは、こうした放置林から発生しています。昨今では、山の災害崩落は大きな波紋を呼んでおり、防災上からも山の管理の大切さが指摘されています。
 放置すれば災害の発生は当然のことながら、一方で、山を維持・管理することも、また大変なのです。学生時代に私は檜の植林をしたことがあります。そのとき植えた檜が、最近やっと用材として活用されるようになりました。木は用材として活用されるまでに、長い年月がかかります。しかも、山の維持には林道や水路の整備が必要です。これは山の所有者だけでできることではありません。
 しかし、「大変なことだ」、「難しい」といって、このまま放置しておけば、私たちは大切なふる里の景観を失ってしまうのではないでしょうか。
 今回の古高松郷土誌の発刊に当たり、改めて古高松の良さを認識致しました。私たちが受け継いできた美しい自然を守り、子孫に伝え残すためにも、地区をあげて、市や土地改良区等の協力を得ながら、息の長い対処策を続けていくことを念じる次第であります。

【編集後記】
 昭和52年(1977)に『古高松郷土誌』が発刊されて、40年余の歳月が経過した。その間、古高松地区は、社会情勢の著しい変化に伴い大きく変貌した。
 そこで、古高松地区の歴史をたどり、先人の業績を記録に留めるととともに、郷土の現状と魅力を後世に伝え、地区の発展に寄与するため、『古高松郷土誌Ⅱ』を新たに発刊することにした。
 平成29年(2017)7月、古高松郷土誌編纂委員会を発足し活動を始めたが、各委員は専門家ではなく、編集要領が分からずとまどうことが多かった。
 当初、編集内容については、『古高松郷土誌』以降の出来事を掲載しようという意見もあったが、所持している者が少ないため、前回の内容も記載するが、昭和52年以降の出来事にウエートを置いて、詳しく掲載することにした。また、地域住民に広く親しまれ、中学生・高校生の参考資料にもなる郷土誌を目指した。
 まず、編集内容を分野ごとに7つの班に振り分け、編集委員が自分の得意な分野を選択した。各班には、班長と副班長を置いた。
 編集方法については、各班の自主性に任せた。多くの班は、分野ごとに担当者を決め、それぞれが責任を持って原稿を書き、執筆後に内容を班会議で検討する方法を採った。
 各班とも、現地に出かけて行ったり、県・市の図書館やインターネット、関係機関から資料収集に努めたりしたが、時代をさかのぼるほど収集は困難を極めた。
 各班の原稿ができあがった後、班長全員と事務局が、週1回から3回の班長会議を持ち、全ての原稿について内容の正否、重複、統一性、表現方法等を点検・校正した。
 編集期間が3年足らずと短かったので、資料収集が十分ではなく、内容についても不十分な箇所があり、期待に添えない点もあるかと思うが、ご容赦願いたい。また、美巧社・木
村編集長には、編集全般にわたってご指導をいただき、心から感謝申しあげる。
 終わりに、発刊が当初予定より大幅に遅れたことをお詫び申しあげる。
   古高松郷土誌編集部会一同

【目次】
発刊のことば(古高松郷土誌編纂委員会委員長  村井 浩治)
『古高松郷土誌Ⅱ』発刊に寄せて(高松市長  大西 秀人)
祝辞(四国高松学園理事長  佃 昌道)
特別寄稿 古高松に寄せる思い(古高松郷土誌編纂委員会特別顧問  久保 正彰)
特別寄稿 ふるさとの山に寄せる思い(古高松郷土誌編纂委員会顧問  矢野 輝男)
第1編 古高松の風土と沿革・地名〔空撮・高松町〕
 第1章 位置と地勢
  第1節 位置
  第2節 地勢(山地/平地/河川/ため池)
 第2章 地形と地質
  第1節 地形
  第2節 地質
 第3章 気象
  第1節 温暖少雨(気温/雨量/降霜/降雪)
  第2節 地震
 第4章 動・植物
  第1節 動物(野生動物/淡水魚類/鳥類/爬虫類その他)
  第2節 植物(植生の変化)
 第5章 沿革
  第1節 原始・古代
  第2節 中世
  第3節 近世
  第4節 近代
  第5節 現代
 第6章 地名
  第1節 「古高松」と3町名の由来や謂れ
  第2節 今の暮らしの中に生きている地名
  第3節 古高松地区の字名(高松町/新田町/春日町/高松町・新田町・春日町の小字名)
第2編 古高松の歴史〔空撮・新田町〕
 第1章 古代
  第1節 先史時代(旧石器時代/縄文時代/弥生時代)
  第2節 先史時代の遺跡と遺物(古高松地区出土の土器・石器/主要遺跡の遺跡と遺物/縄文後期から生活圏の始まり)
  第3節 古墳文化(古高松における古墳文化/古高松東部の古墳群)
  第4節 古高松の遺跡・古墳まとめ(旧石器から縄文時代/弥生時代/古墳時代/古代から近世)
  第5節 国造時代(讃岐の国造・県主)
  第6節 飛鳥時代から平安時代(地方の行政組織/条里制と班田収授法/屋嶋城と讃岐の軍団/讃岐の仏教/藤原純友の乱と高松郷/当時の陸上・海上交通/源平の争乱)
 第2章 中世
  第1節 鎌倉時代
  第2節 建武の新政(古高松にあった高松城(喜岡城))
  第3節 室町時代
  第4節 安土桃山時代
 第3章 近世
  第1節 江戸時代の行政(藩政時代の租税と検地/藩政時代の行政組織)
  第2節 江戸時代の教育(寺子屋で学ぶ/藩校に学ぶ)
  第3節 災害・保健衛生(災害/保健衛生)
  第4節 産業
  第5節 農業(封建時代の農業)
  第6節 幕末期の動向(江戸幕府の現状/当時の高松藩の現状/高松藩の勤王の志士達/高松藩の海岸警備)
 第4章 近代
  第1節 自治行政等(明治維新の諸改革/自治行政の変遷)
  第2節 教育(学校教育の変遷/社会教育)
  第3節 保健衛生・福祉厚生・災害(保健衛生/福祉厚生/災害)
  第4節 警察・消防(警察/消防)
  第5節 産業・交通・通信(産業/交通/通信)
  第6節 兵役(徴兵令と徴兵検査/各戦争等/在郷軍人会と忠魂社)
第3編 現在の古高松 空撮・春日町
 第1章 行政
  第1節 古高松地区のコミュニティセンター(公民館からコミュニティセンターへ/古高松コミュニティセンター/古高松南コミュニティセンター)
  第2節 高松市古高松出張所(沿革/出張所の業務/歴代支所・出張所長/庁舎の変遷)
  第3節 農地改革と農地委員会(農地改革/農地委員会)
  第4節 農業委員会(沿革/主な業務/委員数と選任方法/会議開催状況/構成/歴代農業委員)
  第5節 その他各種団体(古高松財産区議会/古高松地区遺族会)
 第2章 自治組織
  第1節 古高松地区コミュニティ協議会(結成と目的/歴代会長/役員/会則/目標と事業計画/現在の活動状況)
  第2節 古高松地区連合自治会(自治会とは/沿革/組織・活動状況/歴代会長/役員/会則)
  第3節 古高松地区婦人会(事業内容/歴代会長/活動)
 第3章 地域安全
  第1節 高松北警察署 高松町交番(概要)
  第2節 古高松地区地域安全推進委員協議会(沿革/歴代会長/主な事業)
  第3節 古高松地区交通安全母の会(結成までの経緯/活動/歴代会長)
  第4節 古高松地区交通安全推進協議会(目的/事業/沿革/歴代会長/実施概要)
  第5節 古高松地区青少年健全育成連絡協議会(主な事業/設立当時の構成団体/主な活動状況/役員)
  第6節 古高松地区防犯活動推進委員会(主な活動内容/歴代会長)
 第4章 消防防災
  第1節 常備消防(沿革/歴代の高松市東消防署長)
  第2節 非常備消防(沿革/歴代分団長)
  第3節 古高松地区自主防災連合会(自主防災連合会/大災害と教訓)
  第4節 女性防火クラブ(女性防火クラブの目的/歩み/主な活動/これまでの実績)
  第5節 災害(高松市に影響を及ぼした災害)
 第5章 保健衛生・環境美化
  第1節 古高松地区保健委員会(目的/事業内容/事業の実践/歴代会長/役員)
  第2節 日赤奉仕団古高松分団(赤十字奉仕団とは/信条/主な活動内容/古高松分団会則/実践内容/役員)
  第3節 古高松地区の医療施設(医療施設の病院/診療所/歯科診療所)
  第4節 環境美化(環境美化活動)
  第5節 火葬場と墓地(火葬場/墓地)
 第6章 社会福祉
  第1節 古高松地区社会福祉協議会(沿革/主な事業/主な事業内容/歴代会長/役員)
  第2節 古高松地区民生委員・児童委員協議会(目的/民生委員・児童委員協議会)
  第3節 人権擁護委員・保護司・更生保護女性会(人権擁護委員/保護司/古高松地区更生保護女性会)
  第4節 古高松地区の社会福祉施設(老人福祉施設/障害者総合支援法における事業所/児童福祉施設)
  第5節 福寿会(沿革/活動/役員名簿)
 第7章 産業
  第1節 農業と水利(農業/水利)
  第2節 商工業(商工業/本社がある主な事業所/金融関係事業所/主な事業所/支店・営業所等)
  第3節 交通(道路/国土交通省四国地方整備局香川河川国道事務所/交通機関等)
  第4節 電気
  第5節 通信(郵便/高松市有線放送電話協会東局)
  第6節 上下水道事業(上水道事業/下水道事業)
 第8章 教育
  第1節 戦後から現在の教育(戦後教育の変遷/香川の教育の変遷/古高松地区と関係のある教育施設)
  第2節 保育所(園)(高松市立古高松保育所/らく楽保育園)
  第3節 幼稚園・認定こども園(幼稚園と認定こども園の違い/高松市立春日幼稚園/のぞみ幼稚園/新田幼稚園/高松東幼稚園/つくし幼稚園/春日こども園)
  第4節 小学校(高松市立古高松小学校/高松市立古高松南小学校)
  第5節 中学校(高松市立古高松中学校/高松市立屋島中学校)
  第6節 高等学校(香川県立高松東(木田)高等学校古高松分校)
  第7節 短期大学・大学(四国高松学園 高松短期大学/四国高松学園 高松大学)
  第8節 生涯学習(生涯学習の必要性と方向/公的機関での学習/古高松地区各種団体が主催する場での学び/民間企業が運営する場での学び)
第4編 古高松の生活と文化 写真・福投げ
 第1章 暮らし
  第1節 暮らしの変化
  第2節 人口の変遷(人口増加の状況/3町の人口増加の状況/性別・年齢別人口割合の状況/近隣地区との比較)
 第2章 スポーツ活動
  第1節 地区体育協会(高松市地区体育協会連絡協議会/古高松体育協会/古高松南体育協会)
  第2節 スポーツ少年団(古高松スポーツ少年(少女)団/古高松南校区スポーツ少年団)
  第3節 学校体育施設開放運営委員会(高松市学校体育施設開放事業/古高松小学校体育施設開放運営委員会/古高松南小学校体育施設開放運営委員会)
  第4節 体育指導委員・スポーツ推進委員(体育指導委員/スポーツ推進委員)
  第5節 高松市立東部運動公園(施設の整備/施設の施設の利用)
 第3章 文化活動
  第1節 古高松地区文化祭(人気コーナー等/古高松コミセン開館祝賀文化祭/その後のプログラム概要)
  第2節 旧高松城まつり(主会場の変遷/催しアラカルト/出会い、ふれあい、古高松/「古高松音頭」の誕生)
  第3節 地区の祭り(演芸大会/夏まつり盆踊り大会/源平の里・義経祭り/春日神社夏まつり)
 第4章 民俗
  第1節 伝統的な年中行事
  第2節 民間伝承と信仰(稲作歳時記/春/初夏/秋/米の話/暮らしと民具/建築儀礼/人生儀礼/葬式儀礼/祈りのかたち/伝承)
 第5章 宗教関係(順不同)
  第1節 神社等(屋島神社/大宮八幡神社/春日神社/久米石清水八幡宮/八坂神社/七面大明神社/東、西南谷天神社/久本天神社/奥ノ坊神社/青木神社/久本伊勢神社(天照皇大神宮)/喜岡権現社/馬木社(横山塩釜神社)/山端神社/毘沙門天社/岡山神社/金刀比羅神社/若宮神社/山の神社/弁財天社/稲荷神社/道祖神社/荒神社/塩釜神社/地神社)
  第2節 寺院等(延命寺/喜岡寺/本覚寺/妙覚寺/正蓮寺/常照寺/宝太郎坊/毘沙門堂/地蔵堂/不動堂)
 第6章 事跡
  第1節 遍路道と道標(四国遍路の始まり/古高松の遍路道/近代の四国遍路/1990年代の四国遍路ブーム/現代の遍路道「四国のみち」/世界文化遺産の登録を目指して/古高松の道標)
  第2節 路傍に見る灯籠と献灯(灯籠の果たす役割/古高松に残る石灯籠/霊験 金毘羅灯籠/献灯「祈願と道標」/石灯籠の姿)
  第3節 文化財 史跡 旧跡等
 第7章 郷土の人々
  【寄稿】 古高松学問誌(田山 泰三)
  第1節 古高松の人物・人名
 年表
 参考文献・引用文献
 古高松郷土誌編纂委員会委員
 編集後記

【著者紹介】
〔編集者〕
古高松郷土誌編纂委員会委員