中世四国史の研究
ISBN:9784863872141、本体価格:7,000円
日本図書コード分類:C3020(専門/単行本/歴史地理/歴史総記)
458頁、寸法:160×218×30mm、重量766g
発刊:2026/02

中世四国史の研究

【はじめに】
書名の「中世」は平安後期から戦国期を、「四国」は阿波・讃岐・伊予・土佐の四カ国を意味している。この時期と範囲にかかる古文書・古記録・作品などを理解し解釈しようとした、その結果をまとめたものが本書である。
讃岐国の曼荼羅寺と善通寺、同国武士団の綾氏・讃岐藤原氏、阿波国の阿波民部大夫成良、讃岐国室町時代の守護と国人ら、戦国期の土佐国長宗我部氏・阿波国三好氏・讃岐国由佐氏を、「Ⅰ部中世の人々」とする。香川県丸亀平野善通寺市域の条里と中世の灌漑、讃岐国大内郡の水主社故地を、「Ⅱ部中世の土地」とする。西行の『山家集』・『山家心中集』、『法印慈弁哥』、『一遍聖絵』、これらのなかの讃岐国曼荼羅寺・善通寺と伊予国河野氏にかかる事柄を、「Ⅲ部 中世の作品」とする。讃岐国のことに偏重しているが、成良・一遍や守護細川氏、および三好氏・長宗我部氏によって四国史ともなっている。

【おわりに】
本書書名のなかに「四国史」とあるが、当初からそれを目指していた訳では勿論ない。讃岐国に関することが多いが、京でのこと、阿波・伊予・土佐国にかかる部分、鎌倉での出来事にも触れている。讃岐国だけに収まらず、四国全体に及んでいることから「四国史」とした。ただ、「四国史」についての専論がある訳ではない。書名から「四国史」を期待された方を裏切ることになっている、この点は申し訳なく思っている。
書名のなかの「中世」については、10歳代から今に至るまで常に関心を持ち続けてきた。その経過を述べることで、本書理解の一助にしたい。高校三年生(香川県立高松工芸高校機械科)のとき、『古文古典乙Ⅰ三訂版』(1972二年、明治書院)という教科書を使っての授業において、『平家物語』に出てくる「薩摩の守」は「キセル」を意味している、と説かれた。「薩摩の守」は「平忠度」(たいらのただのり)のこと、「キセル」は入口から出口までが中空であり、「ただのり」と「ただ乗り」は音が通じている、と。この時以降、『平家物語』は親しめるものとなった。この出来事のあった頃に放映されていた仲代達矢が清盛役の「新平家物語」は、熱心に視聴した。同校には市原輝士先生がおられ、郷土史部の顧問をされていた。同先生の一言で、進学する大学は立正大学となった。同部の後輩には、後に民俗学研究者となるところの水野一典氏がいた。
大学では、サークル・中世史研究会での活動が中心となった。同サークルでは、『吾妻鏡』と若狭国太良荘の史料とに親しんだ。また、マルクスやエンゲルスの著作に接した。この頃、大学の内外で「過激派」間の「内ゲバ」が頻発していた。大学院での二年間は、人生の黄金時代といってもよい充実した時期であった。小島鉦作先生の古文書学講義。北島正元先生の長州藩法研究と、芝原拓自・中村哲両氏の歴史理論研究。楢崎宗重先生の浮世絵論。高木豊先生の『鎌倉遺文』輪読。桃裕行先生の暦学講義と、『日本三代実録』輪読。これらを、同時進行で学び吸収できたことは、今においても学恩として生き続けている。さらに、これらのほかに桃先生の研究室で毎週一回、夕方から開かれていた「『小右記』を読む会」に参加できたことで、古記録読解に抵抗感なく入っていけることとなった。なお、卒業論文は鎌倉幕府法についてを、修士論文は中世熊野三山の社会経済史を、書いた。修士論文の一端は、『歴史と民俗伝承市原輝士先生喜寿記念論文集』(1992年、丸山学芸図書)に寄稿させていただいた。
1979年4月から、香川県立高校の教員としての生活を始めるとともに、讃岐国の中世史料を調べた。善通寺と曼荼羅寺にかかる古文書が東寺や善通寺にまとまってあることを知ることができた。なかでも、曼荼羅寺の存在に興味が惹かれた。学生時代に、歴史理論に触れる中で知った「生産力」ということを史料のなかで明らかにしようと試みた。それが水主社領と、善通寺市域の条里の研究である(本書Ⅱ部第一・二章)。職を得て、史料大成、大日本古記録、史料纂集、群書類従などの史料集を買い揃えた。これらを使って、「讃岐武士団の成立」と「守護支配の展開」(本書Ⅰ部第三・五章)を執筆した。なお、この頃に、桃先生のもとで共に学んでいた佐藤均氏の急逝ということがあった。佐藤均氏の遺著に『革命・革令勘文と改元の研究』(1991年、佐藤均著作集刊行会)がある。また、「『小右記』を読む会」に参加されていた野口実氏から御著書『板東武士団の成立と発展』(1982年、発行弘生書林、発売星雲社)の恵与を受け、これ以降、同氏から種々声を掛けていただいている。ただ、それに応えられていないのは心苦しい。
高校勤務とは別に、埋蔵文化財調査に五年間、文書館業務に二回合わせて七年間、香川県史編纂調査員・委員として約五年間、それぞれに携わった。善通寺市の稲木遺跡で弥生時代の竪穴住居跡・壺棺墓、平安前期の胞衣壺、などを発掘した。三豊郡高瀬町の大門遺跡で古墳時代の竪穴住居跡、中世の井戸跡・和鏡、などを発掘した。これらは、ほかの調査員と作業員の共同作業によるものである。遺跡・遺物を歴史史料として取り扱う方法を学ぶことができた。香川県立文書館では古文書の収集・整理・公開の業務に当たった。生の文書に接する業務であったが、原本所蔵者との交渉や館内外での種々の調整に費やされる時間が多かった。
文書館での業務によって、史料原本の調査の必要性を意識するようになった。学校現場に戻って、冬期休業中に京都府立総合資料館で東寺百合文書などの写真帳や原本の閲覧に出向くこともあった。その成果が、平安後期の讃岐国曼荼羅寺・善通寺の請願活動の研究(本書Ⅰ部第一章)となった。また、香川郡の由佐家文書は中世文書があることで知られていたが、同文書の近世のもののなかに『南海治乱記』に関する記述を内容とする文書の存在を知ることができた。それは、土佐国の長宗我部氏による讃岐国香川郡などへの侵攻にかかる研究(本書Ⅰ部第六章)に生かすことができた。
2011年4月からは、退職によって生まれた時間を曼荼羅寺・善通寺にかかる研究に使えるようになった。それは、西行の歌集や『一遍聖絵』のなかにみられる両寺についての記述の意味を考えようとするものであった。そのためには、歌集や伝記の全体構成を捉え、該当する記述を位置付ける作業が必要であった。この頃に結成されていた西行学会に参加できたことは、研究に大いに益があった。本書Ⅰ部第二章とⅢ部第一~五章の論文はその成果である。しかし、1979年に抱いた疑問はいまだ不明のところが多く残っている。また、「中世四国史」についての総論を掲げ各章ごとに補註を加えるべきであるが、テーマを広げすぎたこともありそれもできない。本書は、過去に著したところのものを並べただけのものになっている。このことは、申し訳ない、とお詫びするしかない。


Ⅰ部 中世の人々
 第一章 曼荼羅寺から善通曼荼羅両寺へ
  はじめに
  一 讃岐国曼荼羅寺・善通寺関係文書について
  二 曼荼羅寺の再興
  おわりに
 第二章 我拝師山の成立から西行の歌集まで
  はじめに
  一 讃岐国多度郡の宗教環境
   1 我拝師山の成立と曼荼羅寺の信仰/2 善通寺の信仰/3 弘法大師信仰と大師遊墓
  二 讃岐国多度郡の歌についての研究史
   1 窪田章一郎氏/2 山田昭全氏/3 寺澤行忠氏
  三 一三七〇・一三七一歌と詞書・左注について
  おわりに
 第三章 讃岐武士団の成立―『綾氏系図』をめぐって―
  はじめに
  一 『綾氏系図』について
   1 『綾氏系図』本体部分について/2 『綾氏系図』序記について
  二 武士団綾氏の成立
   1 平安時代の綾氏(1)/2 平安時代の綾氏(2)/3 治承・寿永内乱期の讃岐藤氏/4 藤原家成・讃岐国・綾氏
  おわりに
 第四章 阿波民部大夫成良―治承期―
  はじめに
  一 阿波国の武士団
  二 民部大夫ということ
  三 阿波民部大夫成良
  おわりに
 第五章 守護支配の展開
  第一節 守護細川氏と分国支配
   一 守護細川氏の讃岐統治
    細川京兆家/讃岐守護職/守護関係文書/守護代二人制/島・浦/海上支配/守護の権限
   二 守護細川氏の家臣団
    細川氏一族/細川氏一族の家臣/守護代安富氏/讃岐西方守護代香川氏/細川氏奉行人/守護所/交通支配/守護領/細川氏一族の所領
   三 応仁の乱と守護支配の変質
    応仁の乱/応仁の乱後の在京家臣/讃岐蜂起/京兆家の衰退
  第二節 国人領主制の展開と荘園の解体
   一 讃岐国の国人と土豪
    中世後期の讃岐国の武士/室町幕府成立期の武士/観応擾乱期の武士/室町時代(14世紀後半~15世紀)の讃岐国の武士/室町期讃岐国の武士の分類
   二 国人領主制の展開
   (1)土豪的領主
    〔領主化する神社・神主〕/〔水主氏〕惣官であり地頭である/神人座配を定める/〔原氏〕仁尾浦/惣官新兵衛尉/神人言上/神人の代表者
   (2)荘郷級国人領主
    〔寒川氏〕内乱期の寒川氏/長尾荘の代官/地頭寒川氏/寒川氏の所領/地下請/代官職を得る/代官職罷免/国人領主化する寒川氏/年貢納入/年貢額の変遷/国人領主寒川氏/〔十河氏〕/〔由佐氏〕関東から/嗷訴誅伐/井原荘/冠尾社の管理/嫡子単独相続/〔豊嶋氏〕西讃を中心に活動/〔近藤氏〕大野郷・勝間郷を基盤/代官職の内容/割符利用/貧乏人麻氏/国人領主近藤氏/〔秋山氏〕秋山氏の概略/高瀬郷の歴史地理的な特徴/秋山氏の所領/河内国新開荘/土居給田畠/「住」の在り方/用水支配/公事・節料/塩浜/山田郡本山の所領/所領の相続/分割相続/単独相続の成立/秋山氏の家人統制/氏寺による支配/秋山氏の危機
   (3)郡単位の国人領主
    〔香西氏〕香西氏の変遷/陶保代官職/請負年貢額/請切の契約/百姓の抵抗/南條山西分代官/仁尾浦代官/守護代の軍勢催促/陸分内検/坂田郷代官/〔瀧宮氏〕滝宮氏/南條山西方代官/御被官
   三 荘園の解体
    荘園の解体
 第六章 天正10・11年長宗我部氏讃岐国香川郡侵攻の記録史料
  はじめに
  一 『三好家成立之事』・『三好記』の記事
  (イ)『三好家成立之事』/(ロ)『三好記』
  二 『元親記』・『長元物語』の記事
  (ハ)『元親記』/(ニ)『長元物語』
  三 由佐家文書の意義
  四 『南海治乱記』の記事と編纂過程
  五 「岡城」の意義
  おわりに
  史料紹介 前田清八方江之返答(松縄城主・・・)
 補説 綾氏・讃岐藤原氏・寒川氏
  一 讃岐藤原氏
  二 讃岐武士団の発生と源平合戦
  三 長尾荘と寒川氏
Ⅱ部 中世の土地
 第一章 条里制研究の一観点―丸亀平野善通寺市域を例として―
  はじめに
  一 方形土地区画
  (1)実地調査/(2)溝の機能/(3)方形土地区画界線のズレ
  二 発掘調査と中世絵図より
  (1)発掘調査/(2)讃岐国善通寺領一円保差図
  おわりに
 第二章 大水主社領の範囲と構造
  はじめに
  一 大水主社領の成立
  二 大水主社領の範囲と「村」
  三 大水主社領の構造
  おわりに
Ⅲ部 中世の作品
 第一章 『山家心中集(妙法院本)』の奥書と本文
  はじめに
  一 「三百六十首」と「三百六十也」ということ
  二 「みぐるし」・「山ざとのしふ」
  三 「むなしきこと葉」と「みやぎがうた」
  四 「ひとつすぢにて」と「心中」
  おわりに
 第二章 『山家集』下雑後半部の性格―「さぬきみのつ」と「りうもん」の歌群について―
  はじめに
  一 詞書・歌群・左注の在り方
  二 「さぬきみのつ」と「りうもん」の歌群―特異な二つの歌群―
  (1)「さぬきみのつ」の歌群/(2)「りうもん」の歌群/(3)「さぬきみのつ」と「りうもん」の歌群
  三 讃岐国の大師の歌―異質・異様な詞書と左注―
  四 下雑後半部の性格
  おわりに
 第三章 『一遍聖絵』のなかの対句的表現―伊予国三島社参詣記事の解釈―
  はじめに
  一 これまでの解釈への疑問
  二 〔詞41〕の対句的表現(1)
  三 〔詞41〕の対句的表現(2)
  おわりに
 補論 対句ノート
  はじめに
  一 「作文大体」
  二 「解説」(『本朝文粋』)
  三 「対句」(『国語学大辞典』)
  四 「対句的表現」(『海道記全釈』)
 第四章 一遍遊行の段階と巡礼
  はじめに
  一 一遍の生涯
  二 奇瑞の表現
  三 化導の表現
  四 遊行の段階
  五 巡礼の意義
  おわりに
 第五章「法印慈弁哥」考―讃岐国曼荼羅寺参詣の背景―
  はじめに
  一 慈弁の概要
  二 慈弁の養父と父
  三 慈弁の遁世
  四 慈弁の寺社参詣
  五 慈弁の交友
  おわりに
  資料「法印慈弁哥」の翻刻
  初出一覧
  おわりに
  図表一覧
  索引 研究者名
  付図 Ⅱ部第一章

【著者紹介】
〔著者〕
野中 寛文