ナラティヴ・エデュケーションへの扉をひらく ~個と集団をつなぎ、主体性と協同性を統合し、「生きること」と「学ぶこと」を架橋する中学校の授業実践~
ISBN:9784863871052、本体価格:1,500円
日本図書コード分類:C1037(教養/単行本/社会科学/教育)
136頁、寸法:182×257×8mm、重量315g
発刊:2019/07

ナラティヴ・エデュケーションへの扉をひらく ~個と集団をつなぎ、主体性と協同性を統合し、「生きること」と「学ぶこと」を架橋する中学校の授業実践~

【はじめに】
 本来,「生きること」と「学ぶこと」は統合されていた。学校も寺子屋もない時代,物事を熟知する地域の年寄り,長老を囲み,彼の語りから若者は様々なこと,人生の智恵を学んだ。この時代には,「学ぶこと」は生きる術の獲得であった。「学ぶこと」は即「生きること」だった。だが,社会が発展し,学校制度が整備されるにつれて,学校は社会から隔離されていき,やかで学校で学ぶことは社会に出てから役に立たないとまで言われるようになってしまった。「学ぶこと」と「生きること」が分離したのである。
 「学ぶこと」と「生きること」が一体の時代,「物語り」によって教育が行われていた。教育のプリミティブな形として,「物語り」による教育,ナラティヴ・エデュケーションがあった。本書は,社会に開かれた学びが標榜され,主体的・対話的な深い学びが求められる現在,そのような学びを指向する授業づくりの実際を提示したものである。なお,若年教員や教員を目指す学生にも分かりやすいように,「物語り」を活かした実践記録の詳しい記述に努めた。本書が,今後,ナラティヴ・エデュケーションを試みる方々の意欲の扉を開くとともに,未だ緒にも就いていない,古くて新しい教育であるナラティヴ・エデュケーションの扉を少しでも拓くことになれば,編者一同望外の喜びである。
 「第Ⅰの扉 『ナラティヴ・エデュケーション』への誘い」では,ナラティヴ・エデュケーションへの理解が深まるように心がけた。第1章では,まず,生徒一人ひとりの「私の中学校時代」という物語を「成長の物語」にする視点を教育者が共有する意義が述べられる。次に,「物語としての授業」が述べられる。授業は,教師が構想した物語と子どもたちがそれぞれに描く物語,そして教材さえ物語る,そのぶつかり合いのなかで進行する「物語的交渉」である。授業は「多声的現実」でもある。それ故,授業を最初に構想できる特権的立場の教師ですら,「思いがけない展開のなかに新鮮な驚きを感じる」,本当に面白い物語(ドラマ)なのである。第2章では,ナラティヴとは何か,どんな意味があるかが述べられる。ナラティヴは,自らの世界を理解するフィルターに例えられる“心的な機能”であり,その人の体験や感じてきた歴史(物語り)の総体である。新たなナラティヴ生成は,先が見えない今を「共に生きる」ことが求められ,「無知の知」が必要であり,子どもの気持ちを「傾聴」することが大切となる。ナラティヴが,我々の過去や現在,未来さえも規定するが故に,どんなナラティヴを子どもの内に創造するかが,子どもの未来を育てる鍵にもなる。第3章では,今,ナラティヴ・エデュケーションが求められる理由と中学校でのナラティヴ・エデュケーションの意味が述べられる。「物語り」は,人間の根源的なことに係わる。それ故に,「物語り」の訴求力は高くなり,巷に「○○物語」が溢れている。しかも,「出来事と人生を理解しうるものにするのは物語の働きであって,科学的説明ではない」。中学校は,「自立への基礎」を図るとともに,「個性をさぐる」機会の準備が重要となる。このような,学校教育におけるアイデンティティ形成の支援では,「物語り」を活用した授業が有効である。そして,香川大学附属坂出中学校のナラティヴ・エデュケーションとしての各実践のポイント等が述べられる。
 「第Ⅱの扉 ナラティヴ・エデュケーションの実際とその展開」では,香川大学教育学部附属坂出中学校のナラティヴ・エデュケーションと係わる授業実践をラインナップし,主体的・対話的な深い学びを実現する実践づくりの実際を紹介する。ここでは,若い教員や教員を目指す者でも分かりやすいような実践記録の記述にも努めた。若い教員や教員を目指す者が,主体的・対話的な深い学びの実践をどのようにしていけばよいか考える際に,参考になるように心がけた。
   2018(平成30)年11月2日  伊藤 裕康   竹森 元彦

【あとがき】
 本書で授業実践を紹介した香川大学教育学部附属坂出中学校は,「自立した学習者の育成」をめざし,生涯にわたり学び続ける意欲やその基盤となる力の育成について継続して実践研究してきている。特に,2009(平成21)年度に寺岡英郎が副校長となり,ナラティヴ・アプローチを授業研究に導入したことが端緒となり,語り合いの中で自己の「ものがたり」を紡ぐことで,生涯にわたり学び続ける学習意欲の向上を図るカリキュラム構想を提案してきた。さらに,2012(平成24)年度,1990年代から物語構成学習の研究を進めていた伊藤が校長となってから,「物語り」を研究の基軸に据え,「ものがたり」による授業研究が本格化した。同校は,1947(昭和22)年4月21日に香川師範学校女子部附属中学校として創立され,2017(平成29)年度には70周年を迎えた。本書は,やや遅れた発刊となってしまったが,香川大学教育学部附属坂出中学校創立70周年を記念し,同校の「ナラティヴ・エデュケーション」と係わる授業実践を紹介する意味合いも持たせている。
 一方,香川大学教育学部附属坂出中学校の研究に先立つ1998(平成10)年には,香川大学教育学部において日本教育学が開催された。同学会では,「教育という『物語』:人間形成への物語論的アプローチ」というテーマでシンポジウムがもたれた。そして,1999(平成11)年には,シンポジウムの成果を踏まえた香川大学教育学研究室編(1999)『教育という「物語」』世織書房が刊行された。平成18年には,人間形成の物語論的研究の成果として毛利猛(2006)『臨床教育学への視座』ナカニシヤ出版が刊行された。さらに,平成28年度には,竹森と伊藤により,竹森元彦編(2017)『ナラティヴ・エデュケーション入門』美巧社が刊行されている。本書刊行は,香川大学教育学部で積み重ねられてきた「物語り」の研究を淵源とし,学部教員と附属教員との協働による研究成果を発信する試みでもある。
 「ナラティヴ・エデュケーション」とそれに係わる授業づくりは,未だ緒に就いたばかりである。今後,「ナラティヴ・エデュケーション」に関わる理論と実践を進めて行き,いつの日か本書をさらに深めたものを世に送り出すことができればと思っている。
 最後に,本書の刊行に当たり,香川大学教育学部学術基金より出版助成金をいただいた。記して感謝の意を表する。
   2019(平成31)年1月1日  伊藤 裕康   竹森 元彦

【目次】
はじめに(伊藤 裕康・竹森 元彦)
第Ⅰの扉 「ナラティヴ・エデュケーション」への誘い
 第1章 「私の中学校時代」という物語を生きる(毛利 猛)
 第2章 「ナラティヴ・エデュケーション」とは何か(竹森 元彦)
 第3章 香川大学教育学部附属坂出中学校の実践から学ぶ「ナラティヴ・エデュケーション」への道(伊藤 裕康)
第Ⅱの扉 「ナラティヴ・エデュケーション」の実際とその展開
 第1章 物語って「道具としての言語」を鍛える日常の国語科授業(小林 理昭)
 第2章 「物語り」をキーワードとして言葉の価値を認識する国語科授業―「平家物語」群読劇の実践より―(川田 英之)
 第3章 他者と語る中で,豊かな読みを創造する国語科授業(大西 小百合)
 第4章 物語って,新しい地域像を発見する社会科授業(山城 貴彦)
 第5章 物語って,歴史を学ぶ意味や価値を実感させ,民主社会の形成者の育成につなげる社会科授業(大和田 俊)
 第6章 データ分析の語りによる,社会に開かれた数学科授業―「自転車事故ワーストからの脱却」の実践より―(大西 光宏)
 第7章 ものの姿や色の見えを主体的に吟味する理科授業(若林 教裕)
 第8章 科学する共同体でつむがれる新たな雲の「ものがたり」(鷲辺 章宏)
 第9章 「語り合う」中で自己の物語をつむぐNIESD(伊藤 裕康・川田 英之)
あとがき(伊藤 裕康・竹森 元彦)
執筆者紹介

【著者紹介】
〔編著者〕
竹森 元彦
伊藤 裕康
毛利 猛
小林 理昭
山城 貴彦
大和田 俊
〔著者〕
川田 英之
大西 小百合
大西 光宏
若林 教裕
鷲辺 章宏